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福島正則荼毘所跡(ふくしままさのりだびじょあと) 見聞記 長野県上高井郡高山村 [観光]

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 福島正則は言わずと知れた秀吉の家臣であり、広島50万石の大身であったが、信濃国高井野藩4万5千石に減封されてさみしい晩年を過ごした。上高井郡高山村には、正則の屋敷跡や、荼毘に付された地などゆかりの史跡がある。

 福島正則荼毘所跡(ふくしままさのりだびじょあと)は、高山村にある福島正則屋敷跡の北方向500mにある史跡。福島正則供養塔、杉の木、標柱、説明板からなる。高山村指定文化財。

  関連動画2タイトル掲載しておきます。

福島正則荼毘所跡
  
  福島正則公の怨念[!?]が碑を揺らす!正則公荼毘の地-150120-01
  https://youtu.be/iisxAfQPk5c
 
福島正則の墓所は、岩松院(小布施)、妙心寺(京都)、 不動院(広島)など全国5カ所にある
  
  岩松院 福島正則公霊廟 雪深き階段を決死の覚悟で上り切る!
  https://youtu.be/2KJ0DmBazz8

 福島正則は広島50万石から信濃国高井野藩4万5千石に減封されて寛永元年(1624年)7月13日に死去。夏の暑い日であったため腐敗をおそれた(一説には自刃を隠すため)家臣により、この地で荼毘に付された。幕府の検死役が到着する前に火葬にした責任を問われて家禄は没収された。この場所には1本の杉が植えられ、高さ30m周囲9mを越す程で、「一本杉」とよばれ、遠く飯縄山からも確認できたほどの大木であったそうだ。また「杉の木に傷をつけると血が噴出す」と長い間村人の間に伝承され、大切にされてきたが、昭和9年の室戸台風で倒壊した。現在ある杉の木はその後植えられたものである。




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