So-net無料ブログ作成

【信州探訪】 雷電為衛門の墓に参拝する! [信州探訪]

スポンサードリンク




雷電為衛門の墓に参拝する!

 雷電の生家の見学も終わって、さて帰ろうと思ったら、パンフがあり、ここら辺一帯の見どころが書いてあった。その中に雷電の墓というのがあったので足を延ばしてみた。少し迷ったが、10基余り墓地が集まったところに、雷電の生家「関家の墓」はあった。
結構新しい墓であったが、大家であるのか立派なお墓だった。石碑の表には「雷聲院釋関高為輪信士」と戒名が記されており、側面には「文政八乙酉年二月十一日、雲州雷電為右衛門行年五十九歳」という文字が刻まれていた。

 文政八年(1825)に他界したが、雷電の亡骸は荼毘に付されたあとなん箇所かに分骨された。その一つが勿論ここ故郷の大石村(現東御市大石)の墓である。雷電の墓の右隣には父親の関半右衛門の墓が並んで立っているが、その墓石は酒枡に大盃を裏返しにして積み重ねた格好になっている。無類の酒好きであったらしい。霊を弔うために雷電が態々そのような風変わりな形にしたという事である。

    【信州探訪】 雷電の墓
    https://youtu.be/YlqCw-NKDi4 ←クリックしてみてください! お墓の動画です!

 雷電の墓はこの他に、松江藩主松平家累代[松江藩のお抱え力士だった!]の霊廟の一隅。一つは東京赤坂の報土寺境内。最後の一つは、雷電が相撲界から身を引いたあとの生活の場となった佐倉市臼井[妻の実家]にある。そこには妻のほか子(女児)の墓などもあり、ほかに江戸時代の錦絵に描かれた雷電の雄姿を彫り刻んだ石碑なども立っている。

 雷電は、江戸に出るまでは、雷電を見出した好角家上原源吾右衛門(隣村)のもとで、彼の私塾で相撲のほか読み書き・算盤の指導を受けたという。結構な教養を身に付けていた。単なる力持ちだけではなかったのである。そんな雷電が信州から出たということに思いを馳せ帰路についた。



スポンサードリンク





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。