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大飢饉の中捨て子を育てた呑龍上人・・須坂に分霊され祀られている! [須坂探訪]

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 このところ内向きの仕事が続いため家に籠り切になってしまった。そんな訳で、少し歩いた方がいいと思い、午後になって、気分転換もかねて外出した。特段用事があった訳ではないので、カメラをぶら下げて気軽に歩いた。須坂の昔からある市街地でも、この頃解体して、新しく家を建てる所が出てきたが、まだまだ古いしもた屋風の家も多い。そんな中をブラブラ歩くのもまた結構楽しい。

 小学校や、中学校の通学路などでは、その道路の巾のなかに当時の自分の姿が目に重なる。もう「あのころから60余年も経つのだなあ!」と思うと感慨深い。まあ健康増進[というよりも低下させないために]のために精々歩こうと思う。

 帰りがけに、細い小路を歩いていたら、「子育て呑龍上人」と書いてあったので、「なんだろうな? 子育て地蔵とはよく聞くが!? 呑龍ってなんだ!?」と思って、入っていった。立町の公会堂の敷地の中に小さなお堂があった。案内板を見ていわれというか、ここに祀られている経緯とかがよく解った。以下案内板に書かれた要旨です。

    子育て呑龍上人 須坂市立町に分霊され祀られている!
    https://youtu.be/406e55yHlqk  ←子育て呑龍社です!クりックしてみてください!

 ご本尊は呑龍上人。江戸初期の浄土宗の高層。呑龍上人は家康の信任厚く、江戸幕府の祖新田義貞を祀る大光院[群馬県太田市]を開祖。上州一帯が大飢饉で困窮した際、多くの捨て子を養育したことから、「子育て呑龍」と慕われた。没後大光院の隣に呑龍上人を祀る開山堂が創建された。「太田の呑龍さん」として全国からの参拝客で賑わっている。須坂市立町の「呑龍さん」は、昭和3年呑龍上人の徳を慕う有志が発起人となり、太田大光院から分霊され祀られた由緒あるものである。

 まあ須坂も古い歴史のある街だから、この様に、いろんなところとご縁を結んで今があるのだなあと思った次第です! 



    


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