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上勝町の「葉っぱビジネス」の取り組み!現在の日本の諸問題を解決するためには! [日記・雑感]

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 耕地が狭く、農業には適さない国日本。国際競争力に欠ける。自由化されれば一溜りもないと言われている。第一次産業は、日本のように労賃が高い国では衰退の一途をたどり、将来の展望もなく、離農者は続出し、若者の参入者も少なく、高齢者に負うところが多い。減反で「農業から離れれば補助金を出す」というような農政により、農地は疲弊し、補助金を当てにする、農業の本筋を忘れた考えが農村に蔓延る。これが日本の農業の現状である。

 そんな問題だらけの日本にあって、年収500万円を超えるばあちゃん達がゴロゴロ居る町がある。人口2000人、高齢者比率47%、総面積の約90%が山林の小さな町、徳島県上勝町である。このばあちゃん達の笑顔の源泉は、山間の町に1年中咲き乱れる「葉っぱ」である。この原価ゼロともいえる葉っぱを相手にビジネスを展開、高額な収入を得ているのである。[ともすればお荷物的存在のばあちゃんであるが、ここでは町の立役者的存在である!]

 農村におけるばあちゃんの役割といえば、子や孫が農業を離れ、自給自足的に、爺ちゃんと細々と畑を耕しているというのが一般的なイメージだ。この村に2億5000万円を売り上げる第三セクター、「株式会社いろどり」
を創設した人物がいる。この葉っぱで町を変えた魔法の伝道師が横石知二氏という男だ。

 上勝町は林業とみかんが主力産業で細々と暮らしてきた町であった。そんな中、1981年大寒波に見舞われ、「みかん」が壊滅的打撃を受け、途方に暮れていたところに、昭和54年、県立農業大学を卒業した横石氏が、農協の営農指導員として上勝町に赴任してきた。所謂“よそ者”という存在であった。

 そんな状況の中で、横石氏は、「上勝町をどげんかせにゃあかん!」と考えた。大阪に出張した折、ちょっとした料亭で夕食がてら一杯飲んでいたところ、傍にいた帰り掛けの若い女性が、料理に添えられた青もみじの葉っぱを手にとり「これかわいい〜」と、ハンカチに包んでもって帰ろうとしていた場面に遭遇した。横道氏は、思わず、「これだ!」と閃いたそうである。

 早速この「葉っぱビジネス<つまもの>」を提案したところ、「たぬきじゃあるまいし、葉っぱなんか金になるもんか」という拒否反応が返ってきた。横石氏は「よそ者」という強い反発心が底にあったのかも知れない。こうしたことから始まって、20年余り、今じゃ、この事業に携わる農家は190世帯、主力部隊は平均年齢70歳というばあちゃん達だ。ともあれ、500万から1000万くらい稼ぐという。[扱う葉っぱの種類320アイテム。シア80%]
 
 この事業が軌道に乗って、町はどう変わったか。「原価ゼロという主力産業」が定着し、町民の所得が増え、人や町に活気が出た丈ではない。大袈裟でなく、少子高齢化問題、医療費問題、年金問題、介護問題、環境問題などなど、現代の日本を騒がすこれらの問題が、この町から一挙に消えた。平均年齢70のばあちゃん達は、携帯を操り、PCも見事に使いこなす。10年前の自分より、はるかに肉体・精神年齢が若くなっている。それなりの収入の裏付けがあるから、心の余裕もでき、生き甲斐もでき、「もっと頑張ってみよう」という向上心もある。そうして増々身も心も健康になる。寝たきり老人もいなくなるから、介護の問題も少なくなる。子や孫も都会に出なくても町に定着するようになった。

 いま政府は、「地方創成とか、1億総活躍社会」とか掲げ、箱もの行政を展開しようとしている。しかし本当に、「地方」を活性化させようと思ったら、この上勝町のような、住民一人一人に「出番」を確保してあげられることではないか? 補助金を貰えば、人はそれに頼り、それ以上の向上心は育たない。生活の裏付けが取れないから、将来に不安を感じ、心身ともに老いる。人はやはり、自分は何かの役に立っているという生き甲斐が必要なのだと思う。上勝町のばあちゃん達は、今日もせっせと「原価ゼロ」の葉っぱを採取している。ばあちゃん達は、合間を見ては、もみじなどの種を播く。自分が生きている間に葉っぱは採れないかも知れぬが、自分たちの跡を継ぐ子や孫のために蒔くのである。

 こうして20余年前、「たぬきじゃあるまいし、葉っぱなんか金になるもんか」と言ったばあちゃん達が、横石氏をヨコ様と呼んで、「ヨン様が好きだとお金がかかるが、ヨコ様が好きだとお金が貯まるでぇ」と、生き甲斐に溢れた顔で、少しでも成果を上げようと、寸暇を惜しんで仕事をしている。口々に出るのは「世界中探したって、こんな楽しい仕事ないでよ」という言葉である。

※ 「地方創成」という呼び名は、そもそも「中央政府」に対する「地方」なのであって、その呼称を使うこと自体「地方」の独自性を始めから認めていないのだから、政府の言う「創成」には端から限界が存在しているのである。市町村や、住民に生き甲斐を「創成」する為には、「予算」を含め、市町村に任せなくては駄目なのである。また市町村サイドも、「補助金を分捕って」来た奴が偉いんだなどという勘違いをすべきではない。上勝町の例はそれを雄弁にものがっていると思う。



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