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小説家ASが「老人は生に執着せずに早々に逝け!」と小説に書いたが、夫の認知症介護で自説を曲げる! [健康]

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 小説家ASが「老人は生に執着せずに早々に逝け!」と小説に書いたが、夫の認知症介護で自説を曲げる!
 そういう目に遭わなければ解らないだと!小説書くのに創造力が無いのは致命的欠陥ではないか!


 元フジテレビアナウンサーの長谷川豊による「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と題したブログが、いまも波紋を呼んでいる。その後も長谷川は撤回することも謝罪することもなく、むしろ批判が強まっていることを「悪質な言論弾圧以外なにものでもありません」などと呆れた主張を繰り返している。現政権の、「自己責任」・「自助」論に相通じるものがある。
 
 これと似たようなことを主張している作家がいる。小生が2・3度ブログに書いて来たAS氏だ!既に一部マスコミに名前が出ているのでその名前を記すが、小説家「曽野綾子」氏である。“高齢者や自己責任の病気で保険を使う人間のせいで、この国はそのうち医療費で破綻する”と言い、その挙句老人は生に執着せず、(そのような状況に陥ったら)さっさと逝くべきだと言ってのけた。
 
 だが、当の曽野自身が、いま、高齢者および看護の問題に直面しているのだという。小生は「週刊現代」(講談社)を毎週購読しているが、それの、9月24日・10月1日号に「「夫・三浦朱門」を自宅で介護することになって」という独占手記を発表。翌週号から「自宅で、夫を介護する」という連載をスタートさせたのだ。その記事を読んで、前述の「生に固執するな!」という氏自身の発言を当て嵌めたら、氏は一体どういう言動を取るのだろうと率直に思った。
 
 氏は先ず、自身が現在〈多くの日本人が直面している典型的なケースを生きている〉とし、昨年から夫の朱門氏に機能障害が表れはじめ、初期の認知症である事を公表。同年秋には検査入院をしたそうだが、氏は〈日々刻々と夫の精神活動が衰えるのを感じ〉夫を連れて自宅に戻ったといい、夫の〈喜びようは、信じられないくらいだった〉ことから〈覚悟を決めた〉という。

 〈夫にはできれば死ぬまで自宅で普通の暮らしをして貰う。その為に私が介護人になる、ということだった〉
 氏の手記を読むと、自宅にケアマネージャーが訪れるなどしていることが窺えるが、そのように夫の介護を決意したいま、氏は以前に発表した“ある小説”について、こう振り返るのだ。〈この危険で破壊的な小説の内容は、当時あくまで空想上のことであった。むしろ現在だったら、私はこの作品を書けなかっただろう〉と。

 その小説とは、曽野が「小説新潮」(新潮社)2014年1月号に発表した「2050年」という短編のこと。「いまなら書けない」というこの小説、じつは高齢者の自己責任を煎じ詰めた内容なのだ。<また別のところで、いま老人破綻、老人破産などと、今頃になって、騒いでいるのも、それは若い頃の個人的な努力が足りなかったからだと言いのけた!幾ら自分及び旦那の稼ぎが多いからと言って、そうでないもに向かって「努力が足りなかった」では、余りにも小説家として、創造力・想像力が無いと言うものだろう!>

 物語の舞台は2025年。人口減から日本は荒廃し、序に漫画やコスプレなどのサブカル文化やネット依存によって若者たちの精神も荒れ果て、その結果、高齢者は〈物言わない生きた死体同様〉の存在として扱われるようになる。そして、寝たきりの老人が生きることには「何故、そんなに生かすのだ」「眠り続けているだけの老人を生かす費用は一体誰が出したのだ」と否定的意見が出るこの社会では、高齢者のジェノサイドが当然のように起こる。〈老人を抹殺することには、一種の社会的必然ができている。或いはそれは暗黙の社会的正義だと感じる層さえ出るようになった〉のだ。即ち政治的には反国民的立場に立ち、困窮は自分の責任で仕方がないと言ったも同然!弱者を黙らせた力として機能した。おそらく氏は「そんなつもりは毛頭ない」と言ってのけるだろうが、小説家ならそんなことは前提として認識して然るべきなのだ。そういう認識が無いから、この様な無様なことしでかすのだ!即ち時代的進歩性というものが皆無なのだ!

 (話は元に戻すが)、しかし、当の介護される75歳の男性主人公は、それを当然のことだと受け止めている。
〈「一人の人の命は地球よりも重い」というような言葉が流行し、疑いもなく受け入れられたのは、二十世紀後半のことだろうが、当時の人の心は実に甘いものだったのだ。私は曲がりなりにも二十世紀というものを知っているから言えるのだが、理想論を口にした連中はすべて詐欺師に近い。医者も同じだ。彼らは人の命を延ばすことには成功したが、それに腹を立てた人々も増やしたのだ〉〈今世紀の初め、私はまだ若かったのだが、人々は今ほど立派ではなかった。すべて現世の不備は政治のせいであり、全ての病気は医師が治すもので、治せないのは厚労省の怠慢か、医師の無能のせいだと考えている人もいた。地震や津波で被害を受けた人全員に国家が損害賠償を支払うなどということはもともと出来えないことだったのだが、それを要求する人もいた。今人々は少し、人間を取り戻している。運命を受け入れるようになったのだ〉実に庶民に必要以上に厳しく、為政者に都合がいいと言わざるを得ない言い方だ!こういう政治性のない「言い方」が最も政治的に利用されやすい。
 
 無論、このディストピア小説は、高齢者福祉の思想が停止した世界をアンチテーゼとして書いたものなどではない。氏は一貫して高齢者を「金食い虫として批判」してきたが、この小説でもそれを主張しているのだ。現に、2014年5月に発売された近藤誠医師との共著『野垂れ死にの覚悟』(KKベストセラーズ)のなかで曽野は、この「2050」という短編について触れ、こう語っていた。「これから一番大切なのは、いやな話ですけど『年寄りをどう始末するか(☜ 如何に非人道的な言い方なことよ!)』っていう問題ですね。どうしたら穏やかに、比較的幸福に、不当な長生きをしないようにするか。もう始めなきゃいけないことですけど、国も医学界も何もやっていません。国だけじゃなくて、長寿に奔走したドクターたちにも責任がありますよ(笑)」 金がかかる不当な長生きをさせてはいけない。老人を抹殺することは〈人間を取り戻している〉証拠だ──。そんな恐ろしい考えを正当化する小説を、氏は何のためらいもなく主張していたのだ。(要するに現実を知らないのだ!今回自分の夫が介護の対象になり、初めて現実を知って、嘗ての自分の主張が現実的でないと気が付いて面食らっているのだ!)

 しかし、いざ自分の夫に健康上の不安が見え、介護が必要となると、「いまなら書けない」と言い出す。作家なのにその程度の想像力ももちあわせていなかったのか、と驚くしかないだろう。
 だが、今回の告白で過去の作品を「書けない」と振り返る一方で、夫の介護をスタートさせていた今年1月にも、氏はやはり「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」などと高齢者が生きるための正当な権利を主張すること自体を猛批判している(産経新聞1月24日付)。
 
他人のことは利己的だと攻撃するが、実のところ利己的なのは氏自身ではないか。夫は例外なのだろう!
 勿論、御年85歳である氏自身も後期高齢者であり、彼女が90歳の夫の介護を行うのは老老介護だ。そのような状況では、保険を利用して治療を受けながら、公的な介護支援サービスを利用し、さまざまな人の手を借りながら要介護者と介護者が孤立しない状態をつくることが望まれる。いくら氏がそうした社会保障のあり方を批判し、自己責任でどうにかしろとがなり立ててきたといっても、それを受ける権利が氏にはあるし、適切な保護を受けて欲しいと思う。しかし自分がそういう目に遭って初めて自覚したでは余りにも作家として情けないではないか!?不明を恥じろ!

 しかし、ならば自分の夫を愛おしく思い自宅で介護したいと願い、サービスを受けているように、ほかの誰かも同じような思いから社会保障を受けているのだという想像力をもつべきではないか。そんな事すら想像できないというのなら小説家の看板を下ろせ!今回自身が現在の介護の実態に入り、いろいろと問題意識を持ったかも知れないが、そういう目に遭わなければ、実態も、何が正しいのかも解らないとすれば、想像力の欠如であり、今まで書いてきた小説は、世間的に恵まれた、「世間知らずのお嬢ちゃま小説」という事ではないか!? そこには先見性や進歩的なものが一切ないではないか! しかも安易に時の権力を無批判に擁護し、大多数の国民を事実に反し、尊厳を無視してきたのである。

 しかも更にいけないのは、身近の介護の問題に直面して、初めて「観念」から、「現実」に入り込み、自説が正しくないと分かった時点で、「今ならそんな小説は書けなかった」などと、矮小化して、ツラッと言ってのけただけで、「(こういう点で)、自分の考えは間違っていました」率直にお詫びし、「こういう考えが正しいと認識するようになった」くらいのことは言いなさいと強調したい!近頃は、こういうところをウヤムヤにし、無責任にも、ノウノウと収まっている輩が多い!「生や、人格の尊重」などは、現在の市民社会の「いろはのい」の事柄である!小説家はそういうものが、歴史的に立ちいくものを題材にして、小説を書くんじゃないのかい!氏の考え方は、大袈裟に言えば、生への冒涜であり、人格の否定である。今まで書いて来た小説やら随筆は信用できないという事になるではないか!?そういうレベルの問題代だ!

 今後、「何が何でも生きようとする利己的な年寄りが増えた」などと口にするようであれば、それは自身の夫と、自分に撥ね返ってくるということを夢々忘れるな!非常に不愉快な思いをした!

   引用・参考元 http://lite-ra.com/2016/09/post-2585.html (水井多賀子氏執筆)




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