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【須坂探索】「巨大迷路須坂」の代表的小路!「青木屋小路」 考 まほろばの国で出会った編集者との縁! [須坂の町並み]

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【須坂探索】「巨大迷路須坂」の代表的小路!「青木屋小路」 考 まほろばの国で出会った編集者との縁!


 


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城下町須坂の旧市街地は、町全体が巨大迷路である。上空から俯瞰すると三角形を呈している。そこに、僅か1万3千石とはいえ、城下町なので、攻め入られた時の為に、態と複雑に設計されている。その三角形の町並みの中を、幅1mくらいの小路が縦横無尽に張りめぐされているから、一層迷路状態になる。今は草ぼうぼうで通れなくなっている小路も多いが、その後拡張され、生活道路として、活用されている小路も多い。その中の代表的な「青木屋小路」について書いてみたい。私の住んでいるところから、1分、150mのところに、青木屋小路といわれる道がある。明治20年ころに拡張されたらしいが、それでも軽自動車でも、通れない様な小道である。


 【青木屋小路】


  劇場通りから北方向に下りてきて、青木新道(西方向)に向かって見ると、右手は中屋酒店で明治期にはやはり製糸業を営んでいた。左手は上町、現「墨坂産業」元「青木屋製糸所」跡である。


 現在の道幅に拡幅されたのは明治20年頃、裏川用水にかけられた水車動力による6人枠の機械製糸から、蒸気を使った機械製糸になって燃料の石炭や石炭殻を大八車で運ぶようになって、青木屋・中屋両家で土地を出し合い拡幅した。青木屋に現存する階L字型の繭蔵もこの時建てられたという。


 明治3年の「須坂騒動」の際には本町通りへ向けて、前山峠を越えた一隊が松明を揚げて通過した道であるという。余談だが、とすると、我が家を掠めて、松明を掲げた一隊が、青木屋小路を抜けたと思われる。


  青木屋は製糸家。天保8(1837)16歳で養子にきた甚九郎氏が嘉永7(安政元年1854)須坂糸師仲間に加盟し、明治7年には座繰(ざくり)製糸から水車動力による製糸(座繰:ざそう)にし翌8年には東行社を創立して、須坂製糸の発展の基礎を築いた1人である。


  須坂は長野県下では勿論、上田・・岡谷と並んで・・・・・・・・・・・・・


 


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/10268


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参考 須坂市公民館本館ブロック地域づくり推進委員会 発行


平成1512月発行 平成183月改定


「ふるさと歴史マップ」穀町・上町・本上町・上中町より


須坂市歴史的建造物指定


登録 平成24101


24-032号:主屋、第24-033号:事務所、


24-034号:文庫


 文化財検索


https://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=640


須坂ロケーションガイド


https://www.city.suzaka.nagano.jp/suzaka-fc/location/detail.php?id=640


 


 


 




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