SSブログ
神社仏閣めぐり ブログトップ
前の30件 | 次の30件

日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる! [神社仏閣めぐり]

日本三大長谷観音がご本尊の、赤田長谷観音(秋田県由利本荘市)を訪れる!

 

 盛岡に転勤となって、早や2年が立った。我が社は大体2年半から3年で転勤になる場合が多い。この2年間、北東北の3県については、本当によく回った。しかし南東北3県は行った事が余りなかったので、これからこの3県へ意識的に行ってみようと相成った。という訳で、この3連休は、出羽三山周辺に行ってみようと思い立った。

 さてその初日、例によって何の準備もせず盛岡を出発。兎に角ひたすら車を走らせた。今回は、仙岩峠から、田沢に出て、大曲へ。前回は横手、湯澤・雄勝を通って、山形県に入ったので、今回は別のルートにしようと、108号線を走ることにする。(未だカーナビなど普及していなかった時代)漸く由利本荘市に到着(後で地図を見たら怖ろしく遠回りをしたことが解り唖然!)。ここで城跡などを散策し、「さて今日はどうしよう」と初めて検討。地図を見ていると、「赤田観音」というのが目に留まった。そんな動機で赤田観音=長谷寺(ちょうこくじ)を訪れたのであった。

 秋田三十三箇所観音霊場第8番札所。正法山長谷寺は、1775年(安永4年)、亀田藩の僧是山泰覚により・・・・・・・・・

  

    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7710

 

P5170104.JPG

 

記事・画像 original

盛岡在勤中の画像です。

参考元 wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA_(%E7%94%B1%E5%88%A9%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%B8%82)?action=edit

 

 

 

 

 

 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。 [神社仏閣めぐり]

 この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。




 度重なる洪水で、この付近の堤防が幾度となく決壊していることから、水難除けの神が祀られた。南屋島では、権現様は皇大神宮(産土神)と共に里人の心の拠り所になっている。この場所には、土手側から、真中社、戸隠社、金毘羅宮、水天宮が祀られています。

 【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る!
 https://youtu.be/JDfbtzpB4wE

 【千曲川】 屋島橋河原 千曲の流れ滔々の調べも激しき今宵かな!(須坂高校逍遙歌の一節)
 https://youtu.be/NgpsF_7ALGA 屋島橋直下

 【花紀行】 千曲川ふれあい公園[小布施]  河原の菜の花畑
 https://youtu.be/xmtulx0I50M  小布施橋直下

 【さくら紀行】千曲川村山鉄橋下 権現堂桜並木 日本の原風景なり
 https://youtu.be/2YXsTmYquhw 村山橋直下

 真中社・・内務省直轄水害防止工事を指揮した役人の中村真三氏をはじめとする工事関係者に・・・・・・・・・・



  



       つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7663



 


maxresdefault.jpg


 



記事 original



動画 original



画像 Original



 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣めぐり】 京の都ぶらり一人旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】 京の都ぶらり一人旅! 随心院唐棣<はねず>踊り見聞記!

 

 今日は雨模様でしたが、「唐棣<はねず>踊りは、屋外から屋内に切り替えて行われました。唐棣とはうす紅色のことをいいますが、京の山科小野の、真言宗「善通寺派曼荼羅寺随心院門跡」は紅梅の名所としてつとに有名ですが、特にこの寺の紅梅は、唐棣と呼ばれ、古くから親しまれてきました。

 この随心院は、小野小町縁の寺で彼女を慕う深草の少将の百夜通いの話は有名です。少将は誠に悲運と言うか、悲願をこめて、通い続けたにも拘わらず、99日目の大雪の日に、代人を立てたのが運の尽きで、儚い恋に終わってしまったのであります。<98日も頑張ったのだから、幾ら雪でも自分で行くべきでしたなあ。「そんな雪でもよう来て下さいました」なんて感激されてハッピーエンドだったものを!!! 根性が無かったなあ!!!残念!!!>

 

その後の小町は、毎年「はねず」の咲く頃、老いの身も忘れたように、里の子供たちと、楽しい日々を過ごしたと言う。

 

「はねず踊り」は、この随心院に伝わる、小野小町の伝説を、テーマとしたものであるが、童歌の類の常として・・・・・・・・・・・・・・・・

(小生京都在勤中の記事です)

  

    つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/89

 

yjimage (28).jpg

 記事 original

画像元 Original

画像元 Original  

yjimage (一部) 

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%81%AF%E3%81%AD%E3%81%9A%E8%B8%8A%E3%82%8A+%E9%9A%8F%E5%BF%83%E9%99%A2

 

 

 

 

 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣めぐり】山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】山形ぶらり一人旅! 注連寺参拝! ご住職につきっきりで案内して戴いた!


 


 さて大日坊を後にして、坂を下っていくと、「注連寺」という案内板が目に入った。最初大日坊の別名なのかなと思ったが、方向が全く異なるような感じなので、兎に角矢印に沿って走ってみた。大日坊とはまた違った山の斜面にそのお寺はあった。外見はそこかしこにあるような全く何処にでも見られるようなお寺だった。「まあ折角来たのだから参拝ぐらいはして行こう」と思い、階段を上がり、お寺の正面に出た。そこには善光寺のご開帳で言うところの「回向柱」が立っており、柱からは、お寺の扉に向かって「善の綱」が伸びている。「あれこのお寺もご開帳なのかな???」と思った。


 さてご本尊の正面に立って、先ず「鈴」を鳴らしたら,脇の扉から、ご住職と思われる方が突然出てこられたので、こっちは少々面食らった。私は、先ずお寺などに立ち寄ると、正面入り口のところや、仁王門、そして、その門を背にして、お堂の正面を先ず写真に撮ります。おそらくご住職は、私が階段を上がり切ったあたりで、「(なにやら変てこな親父が朝早くから)入って来たな!!!」と私の姿を・・・・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/480


 


yjimage (3).jpg

 


記事 original


画像 Original


即身仏


https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E6%B3%A8%E8%93%AE%E5%AF%BA+%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E4%BB%8F


 


 


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣名所旧跡巡り】 籠神社 日本創生の秘密をにぎる元伊勢神宮(奥宮眞名井神社)!


 このところ「ミステリーな記事」をUPしているが、今回は「籠神社」に付いてです。


 【アマテラス御巡幸】


 神武天皇から9代の間は、神と天皇が皇居の中にいっしょにお奉りされる同殿同床でした。 10代目の崇神天皇・6年のときに神慮を畏み、倭笠縫邑[やまとかさぬいむら]にうつして、皇女豊鍬入姫命が奉斎することとなり、同58年に御室嶺上宮[みむろのみねのうえのみや]を奉斎地と定めて終わりました。それから2年後、自らの役目を姪[いもうと]である皇女倭姫命に託し、御杖として、天照大神を奉らせました。倭姫命は天照大神の鎮まるべきところを求めて、各地を巡幸し、最終的に伊勢国に辿り着き


「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪よする国なり。                  傍国のうまし国なり。この国に居らむと思う」


との神慮を得て、五十鈴の川上に鎮座されたのが内宮のはじまりとされています。


 


1番目ご巡幸地の籠神社】


天照大神が最初に巡幸した神社で元伊勢のひとつ。もともと丹後国の総氏神である籠神社の祭神・豊受大神(とようけのおおかみ)と共に祀られた。20数社ある元伊勢のなかでも随一の・・・・・・・・・・・・・・


  


つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7555


 


yjimage (70).jpg

 


記事・画像 引用・参考元 Yahoo News 


https://loco.yahoo.co.jp/place/g-CXgwQ8jO_U2/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl


    http://japantemple.com/2017/03/28/post-2321/


画像元 original


 巡幸図引用 


https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53070432.html?__ysp=44Ki44Oe44OG44Op44K5IOW3oeihjA%3D%3D


地図は近江雅和『記紀解体─アラハバキ神と古代史の原像』より


アマテラスと豊鍬入姫及び倭姫の「元伊勢」巡行順路(「倭姫命世紀」などの記述から)


 


 


 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

秋田の旅 赤神神社五社堂 ☞ 日本の渚100選 鵜ノ崎海岸 ☞ 唐松神社の旅! 雨の中秋田のパワースポットを走り抜ける! [神社仏閣めぐり]

秋田の旅 赤神神社五社堂 ☞ 日本の渚100選 鵜ノ崎海岸 ☞ 唐松神社の旅! 雨の中秋田のパワースポットを走り抜ける!


 又もや思い付きで、秋田の海岸端を走り、青森との県境を過ぎ、黄金崎不老ふ死温泉  の露天風呂に入って、Uターンし今度は南下する。八郎潟に入り、略一周し、男鹿半島入道崎に出て、更に鵜ノ崎海岸を抜け、盛岡への帰路に付く。しかし、なんだなあ!疲れちまったよ! マダマダ見所はありそうだし、急ぐ旅でもねえし!そんなことを考えながら、暗くなってきた海岸端を走り抜く!そうこうしているうちに、男鹿に着く。丁度駅前に、古い旅館があったので、今日はここに泊まることに決めた! もう7時ころだったが、何とか泊めて貰うことが出来た。


 翌朝小雨模様だったが、昨日来た道を逆走し、鵜ノ崎海岸を抜け、赤神神社五社堂を目指す。


 【赤神神社 五社堂】そのⅠ


 鬼が積んだ999段の階段。


五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきた。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことが出来れば1年に1人ずつ娘を差し出すが、もし出来なかった時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちは諦めて、約束通り山奥へと立ち去ったという。この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われている。鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あの・・・・・・・・・・・・・・


  


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7497


 


PA130050.JPG

 


   記事引用参考元は、それぞれの項の下に明記。


 


   画像元 original


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

【神社仏閣名所旧跡巡り】 須坂藩主菩提寺 臥竜山興國寺!1番の見所は臥竜梅!近所の婆様と偶然逢う! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣名所旧跡巡り】 須坂藩主菩提寺 臥竜山興國寺!1番の見所は臥竜梅!近所の婆様と偶然逢う!


 須坂市の市民の憩いの場である、臥竜山(臥龍公園)の東側に臥竜山興國寺はある。 明応2(1493)に天英祥貞和尚によって開かれた。山号は臥龍山。曹洞宗。ご本尊は釈迦牟尼如来。境内には、臥龍梅・しだれ桜・松など古木のある境内に本堂・山門・経蔵・開山堂・庫裏・衆寮などがあり古寺の佇まいをみせている。左甚五郎伝の鶴・亀などの彫り物がある。山門は大正3年に台風で倒壊し同7年の再建。仁王像は須坂が生んだ名工古川東晨(しん)作。 須田氏・武田信玄・松平忠輝などの諸侯が篤く遇し、須坂藩主堀家の菩提寺でもある。臥竜山の麓にあり、臥竜山山頂に至る小道には、百番観音や、堀家の霊廟や、観音堂などが点在する。また須坂市民の憩いの場である臥龍公園も興國寺寺領であった。


  この寺で有名な物の1つに、梅の古木がある。臥龍梅と称す!枝張は約14m。親木は臥竜の名のとおり枯木となり捻じれて・・・・・・・・


     


      つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7457


 


102-1.jpg

 


記事・画像 引用・参考元 須坂のおたから


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=362


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=162


画像 original


動画 original  


 


 


 


 


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

神社仏閣巡り】富岡八幡宮 日本一の重量神輿!横綱碑・大関碑・伊能忠敬碑などで有名! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】富岡八幡宮 日本一の重量神輿!横綱碑・大関碑・伊能忠敬碑などで有名!

 

所在地    東京都江東区富岡一丁目203

主祭神    品陀和気命他八柱・創建    寛永4年(1627年)・例祭815

主な神事 粟島神社献針祭、七渡神社例祭、富士浅間神社例祭他

富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。横浜市金沢区にある「富岡八幡宮」を本社とし、別名を「深川八幡」ともいう。深川不動尊と隣接。

1624年(寛永4年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓した。その際工事が難航したため、「波除八幡」の別名を持つ「富岡八幡宮」(横浜市金沢区。1190年代の建久年間に源頼朝の勧請により創建)から分社して同じ社名を許され、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。創建当時は・・・・・・・・・・・・・・

  

   つづきはこちらから ☞  http://mahoroba19.com/archives/7253

 

DSCF0613.JPG

 

記事・画像 引用・参考元 wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE

画像元 yjimage (神輿渡御)

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%AF%8C%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE+%E7%A5%9E%E8%BC%BF&rkf=2&ei=UTF-8&imt=&ctype=&imcolor=&dim=large

その他画像 Original

 

 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】深川不動尊(成田山東京別院)都内最強スポット!


 元禄年間に江戸市民を中心に急激に不動尊信仰が広まり、成田山新勝寺のご本尊、不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まる。元禄16年(1703年)、深川永代寺境内、現在の深川不動堂付近で始まった出張開帳が深川不動の起こりで、明治14年(1881年)深川不動堂が完成。周辺は門前町として江戸の情緒を色濃く残しており、納め不動(1228日)や縁日には多くの人で賑わっている。当寺は、15回(年末年始などでは6回)=911131517時(約25分)年末年始などでは更に、19時~ 護摩修行が行われ、私が知る限りでは、最も「豪快(!?)」なお護摩となっている。上京の折には必ず参拝するように・・・・・・・・・・


 


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7219


 


DSCF0576.JPG

 


参考 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-rIypuDTFUnE/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spot_ttl


動画


    https://www.youtube.com/watch?v=lAjQiD-q0E0  公式サイト


    https://www.youtube.com/watch?v=dFMVuu5yNIE


画像 Original


 


 


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

【須坂探訪】天徳寺参道を見守る地蔵尊! [神社仏閣めぐり]

【須坂探訪】天徳寺参道を見守る地蔵尊!


 


 このところ天徳寺に随分拘っているが、今回は天徳寺の参道を見守る地蔵尊の話である。


須坂市では市内の神社仏閣名所旧跡などには、案内板を設置しているが、それに依ると、次のような記述がされている。[須坂藩12000石、四代藩主堀直矩(なおのり・後に直佑公<なおすけ>)は信仰心篤く、天徳寺についても深く保護された。参道が狭かったので、巾3間、長さ180間の大門通りを寄進され、入り口に山門も建ち、沿道には数体の地蔵尊を祀り、池を配した庭園も造られたと伝わる。


 


天徳寺は坂田山尾根筋に建つ、こじんまりとした寺院だが、その規模は須坂藩主の保護もあり、かなりの規模であったという。辻の地蔵尊はその名残りで、現在2体が・・・・・・


  


  つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7107


 


縮小版admin-ajax.jpg

 


参考


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=506#prettyPhoto


動画・画像 original。


 


 


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う!


 


 坂田山天徳寺は、須坂の里山「坂田山」のふもと、また須坂市営「坂田霊園」の入口に位置する寺です。小生の家の墓が、偶々この霊園にあるので、時間があれば、階段を登り、拝観するようにしています。また天徳寺の裏手の高台からは、北信五岳や、北アルプスが見渡せます。晴れた日の午前中は「カスミ」が掛からず遠くまで山容を見ることが出来ます。


  天徳寺井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺を創建したのがはじまりとされています。その後元禄7(1694)に、僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永4(1707)須坂市春木町の浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗したお寺です。山の尾根に本堂・観音堂などが点在しています。須坂の里山=坂田山→明覚山の登山口の1つになっています。


  この寺の入り口の階段登り口の左側に大きな筆塚があります。天徳寺17代住職に就いた田幸正粲は・・・・・・・


        つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/7078


 


 yjimage (2).jpg


 


引用参考元 須坂探検マップ


http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=200


画像・動画 original


 


 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣名所旧跡巡り】 天神社(須坂市福島町) 狛牛と大幟で有名な神社!     [神社仏閣めぐり]

 


【神社仏閣名所旧跡巡り】 天神社(須坂市福島町) 狛牛と大幟で有名な神社! 


chirasi.jpg

 


大笹街道は、上州側では仁礼街道または信州街道といって、善光寺平から上州を経て江戸に至る最重要の脇往還である。大笹街道の起点は福島宿で、ここで北国街道とわかれ、鮎川の段丘をのぼり、八町、栃倉を経て仁礼宿に至り、さらに現在の国道とは異なって宇原川をさかのぼり、大谷不動から菅平に出て、この高原を南北に横切り、鳥居峠を越え、上州に出て大笹宿に至り、さらに大戸を経て高崎に出る道である。この大笹街道の現標が福島宿に現存している。福島宿は宿場としての昔の影を随所に残ている。宿場の中ほどに追分の道標はあって「左 草津仁礼道 右 松代道」とある。大笹街道はいつ頃から開かれたか明らかでないが、慶安2年(1649)矢代宿より追分宿に至る北国12ヶ所の宿が仁礼大笹両宿を相手に大笹街道に駄 賃荷物を通さぬよう幕府に公訴し、両宿は反論して結局慶安3年(1650)大笹街道が勝訴しているので、それ以前より有力な街道であったことがわかる。その「福島宿」の北の端に「天神社」がある。


 


福島町の氏神=産土神。天徳4(960)年頃に京都北野天満宮より勧請(かんじょう)された。当初は雷雨天災を鎮める神として千曲川の洪水水害除けを願って祀られたが、現在は学問の神としても尊崇されている。拝殿前に一対の牛の石造があるが、道真と牛との関わりが深かったことで天神社の守護神となっている。ほかに、境内社として八坂神社、養蚕社、白山比咩神社、金刀比羅社、伊勢社、蚊里田八幡社、熊野権現社、三峯社、秋葉社が祀られている。


 


また当社は、日本一と言われる一対の「大幟(おおのぼり)」で有名である。1880年(明治13年)千曲川の洪水によって破損した天神社本殿の再建に伴い作られました。大幟と言われるように竿の・・・・・・・・


                  https://youtu.be/qD0AEBfaPnw


 


   つづきはこちらから ☞ http://mahoroba19.com/archives/6445


 


 


admin-ajax.jpg

 


    画像引用 http://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK2015


『須坂市報 「須坂市の文化財シリーズ28(平成2211)』より


【すざかからの日本一!】


須坂市福島天神社の幟旗


旗の長さが22.5メートル、幅が4.0メートル、旗を広げた面積が90平方メートル。対の幟旗としては日本一の大きさです。揮毫は高井鴻山です。


 


    記事・画像・動画 引用・参考元 すざかのお宝


http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=18


    画像引用 いきいき須坂


http://www.city.suzaka.nagano.jp/contents/event/event.php?p=x&id=11000&joho=oshi


 


 


 


 


 


 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣巡り】 800年の歴史を誇る、長野県下随一の浄土宗の寺院である「浄運寺」薫風の中境内を散策(参拝)! [神社仏閣めぐり]

【神社仏閣巡り】 800年の歴史を誇る、長野県下随一の浄土宗の寺院である「浄運寺」薫風の中境内を散策(参拝)!


 


●名称 井上山浄運寺      ●宗旨 浄土宗


●本尊 阿弥陀如来       ●開基 角張入道成阿弥陀仏


●開山 寂蓮社寿長不乱大和尚  ●草創 建保二年(1214年)


 


須坂市には、規模の大きな寺が3ヶ所ある。柳島山(りゅうとうざん) 勝善寺<浄土真宗大谷派>須坂市本上町、大岩山 普願寺<浄土真宗本願寺派>須坂市南原町>と、この井上山浄運寺である。人口5万2千の地方の市に、この様な規模のある寺院が3寺もあるというのは珍しいのではないかと思う。勝善寺は正門の斜め前が小生宅であり、境内で、野球をやったり、大屋根に向かって、石を投げたりして怒られたりした寺で、それこそ「日常の寺」という趣であった。普願寺は我が家の菩提寺であり、(今でこそ市営墓地に移ってしまったが)、お盆や、法事のなどに顔を出したので、この2寺は前からよく知っていた。この浄運寺は、50余年振りに須坂に戻って、初めてその存在を知ったので、本日を含めて、3回目の参拝である。妙徳山に抱かれ、高低差のある広い境内は魅力的だ。


 


浄運寺は建保2年(1214年)に法然上人の弟子である角張入道成阿弥陀仏(かくはりにゅうどうじょうあみだぶつ)が開き、不乱房寿長上人が初代住職となった、およそ800年の歴史を誇る、長野県で一番古い浄土宗寺院だという。角張入道は地元、須坂市井上の出身。法然上人に常髄近侍し・・・・・・・・・・・


 


 


   続きはこちら ☞  http://mahoroba19.com/archives/6337


 


admin-ajax縮小.jpg

 


 引用・参考元 浄運寺HP


http://jounji.or.jp/aboutus/


画像 Original


 


 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

長野市上高田18号バイパスに沿って立つ「芋井神社」・「南向塚古墳」参拝記 [神社仏閣めぐり]


長野市上高田18号バイパスに沿って立つ「芋井神社」・「南向塚古墳」参拝記

 

 

本日陽気もよく、偶には歩こうと思って、18号バイパスを、ドン・キホーテから、南方向に母袋交差点まで往復歩いてみた。勿論用事があったのだが、例によって、カメラをぶら下げて、家庭の庭などに咲いている花などを撮りながら、急ぐでもなく、ゆっくりと歩いた。

 

用事を終え、母袋の交差点から、今度は北方向に歩いた。真ん中辺の右側に、ヤングファラオの建物があった。10日ほど前に、この度ボーリング場やパチンコ(こっちの方は数年前に辞めたのかもしれないが‥)を閉店するとTVでやっていた。このホールは、現役時代の長野支店勤務の時、大変お世話になった得意先だった。総支配人もTVに映っていたが、お世話になったのは、もう35年も前の話だ。長野市内でも、こうしてどんどん廃業していくところが多い。寂しい限りだ。

 

さてその先の左側に、神社と古墳らしきものが見えたので、寄り道していくことにした。18号バイパスから、3060mくらいしか離れていない。この一角だけ、街並みは途絶えて、休耕地にはなっているが、一面畑となっている。

 

まず神社の方から参拝した。芋井神社。この神社は・・・・・・・・

 


      続きはこちらから    http://mahoroba19.com/archives/6273




admin-ajax shukushou版.jpg




                    文・画像オリジナル

【蔵の町須坂探訪】福島正則と所縁がある龍鐙山寿泉院! 境内には「忠治地蔵」も祀られている! [神社仏閣めぐり]

【蔵の町須坂探訪】福島正則と所縁がある龍鐙山寿泉院! 境内には「忠治地蔵」も祀られている!

曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏坐像 山号 龍鐙山。当寺は延暦年間(782-805)に空海(弘法大師)が遠州(静岡西部)で創建し、その後当地に移ったと伝えられる。当初は真言宗であったが故、揚柳観音がおられる。この観音様は、手に持っている柳の枝で種々の病を取り除く霊験があると言われ、信仰・参拝する人も多い。地番は、大字須坂1番地であり、須坂の地番の起点となっている。(境内案内板に依る)
 
その後明徳年間(1390~1393)に真言宗から現在の曹洞宗の寺になった。勿論この時は須坂藩は成立しておらず、初期の寺は遠州(静岡県西部)にあったと言われている。その後火災に遭ったりして長い間廃絶していたが興国寺9世桂巖嫩察(けいがんどんさつ)和尚を正式な一世として迎え中興された。真言宗であったので揚柳観音が伝えられた。この観音は中国で成立した仏で、手に持っている柳の枝は種々の病気を取り除く効力があると庶民の間に信仰を集めている。また、境内には秀吉ゆかりの聖観音を・・・・・・・・・

https://youtu.be/fVEQpXJQUjI  

https://youtu.be/J0clgcY4kUk

https://youtu.be/zHhpWdob9Ps  忠治地蔵

https://youtu.be/_0hM4xATvOc  忠治の墓 長野市権堂秋葉神社


 
 
admin-ajax.jpg 忠治地蔵.jpg 
 
 
 




引用元 須坂市公民館本館ブロック地域づくり推進委員会 発行 平成15年12月発行 平成18年3月改訂。「ふるさと歴史マップ 穀町・上町・本上町・上中町編」より
須坂のお宝 文化財探索 建造物編
http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=408

動画・画像はOriginal 



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

木喰上人が一夜にして完成させた、全国でも珍しい「一塔六地蔵」 もとは仁礼中村の郷倉にあったものを、お告げにより塩野に移された!住民の信仰厚い地蔵尊! [神社仏閣めぐり]

木喰上人が一夜にして完成させた、全国でも珍しい「一塔六地蔵」 もとは仁礼中村の郷倉にあったものを、お告げにより塩野に移された!住民の信仰厚い地蔵尊!


長野県須坂市の塩野から米子へ抜ける「みのどうトンネル」手前左側に変わった形の六地蔵石幢<セキドウ>が立っています。

伝説によると、米子の木食の修行僧で仁礼地域亀倉町の「萬龍寺」を建てた木喰上人但唱<モクジキジョウニンタンショウ>が鉈<ナタ>一本で一晩にして彫り上げた石幢であると伝えられています。

元々は郷蔵の庭にあったのですが、大正時代になって信心家の夢枕に地蔵が立ち、「東山に行きたい」とお告げを下されたという。それで、現在の地に移されたのです。

仏教では人が死ぬと六道といわれる6つの世界に行くそうで、その6つの世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)で6種類の地蔵が救ってくれるとされています。それで、この石幢に彫られたお地蔵さまも6つなのです。

6地蔵の個々の名称についてはあまり決まっていないようです。資料によって異なっていますので、この石幢に彫られた地蔵のそれぞれの名前もわかりません。

この六地蔵は塩野の石造物としても・・・・・・・・・・・・

https://youtu.be/Sat3y3X0kF4  一塔六地蔵

https://youtu.be/ACmaq2Q29UE  郷倉

https://youtu.be/OcJB3PrM4Js   萬龍寺

https://youtu.be/-Cc5iGH7Svk    萬龍寺

https://youtu.be/hm1Dexdh3F4 宗吾神社 躑躅



 
 

 

 

記事・画像引用・参照元 <須坂市探検隊>=ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
http://www.suzakamap.com/tanken/page.php?_id=136
記事・画像引用・参照元<須坂のお宝>=須坂市仁礼の里 史跡マップ 勝山一男氏監修
http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=685
動画 original







nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

「赤城の山も今宵限り・・・」の国定忠治!須坂市寿泉院になぜか「忠治地蔵」なるものが存在する!秋葉神社(長野市権堂)には忠治の墓もある! [神社仏閣めぐり]

「赤城の山も今宵限り・・・」の国定忠治!須坂市寿泉院になぜか「忠治地蔵」なるものが存在する!秋葉神社(長野市権堂)には忠治の墓もある!


須坂市大日向の薬師堂夫婦桜の脇道を三原街道というが、その道を西進し、普願寺の方へ下っていくと、寿泉院に至る。 

寿泉院の山門手前右側にある地蔵は国定忠治の像といわれる。 江戸末期の侠客、国定忠治の地蔵菩薩で、嘉永3年(1850)に造られた。もとは野沢温泉にあり中風除け忠治地蔵として親しまれていた。昭和25年訳あってここに安置された。このお地蔵様の評判は、寧ろ県外の方が高く、群馬県や新潟県等からわざわざ訪れる人もいるという。
 
 忠治は謂わずと知れた江戸末期の「赤城の山も今宵限り~」の浪曲で有名。当時国定村[群馬県]では、天保の大飢饉があり・・・・・・・・


https://youtu.be/uC9fKM6M1lc



https://youtu.be/zHhpWdob9Ps 



https://youtu.be/9Bvw747UPTU 


https://youtu.be/ZmXtzTDd59c 



https://youtu.be/_0hM4xATvOc 権堂秋葉神社


 
 
 
 
yjimage.jpg 
 
 






引用・参考元 信州「すざかのお宝」

http://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/item.php?id=410

動画 Original 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

【郷里須坂探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊  神社仏閣名所旧跡めぐり [神社仏閣めぐり]

【郷里須坂探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊 


神社仏閣名所旧跡めぐり 須坂探訪
【郷里探訪】日本三大不動尊 信州須坂 米子(よなこ)不動尊



信州須坂は、人口52000人規模の小さな市ですが、全国的に知られるものがあります。今日はその中の1つである、米子(よなご)不動尊について書いてみようと思います。

当寺院は、「真言宗 豊山派」に属し、「米子不動尊本坊米子瀧山不動寺」と称し、真田家子孫の寺である。ご本尊は、日本三大不動尊である。



この寺のご住職は、眞田信繁(幸村)=仙台眞田家の末裔で、また、夫人は松代藩 第三代藩主眞田幸道の直系です。そのような事情もあり、眞田六連銭(眞田六文銭)を寺紋として掲げている由緒正しい寺格を有す寺院です。



ご本尊、不動明王立像は嵯峨天皇が弘法大師(空海)に鎮護国家のために刻ませた、一刀三礼の作と言い伝えられ、日本でもただ1つの・・・・・・・・・・・


 
 

 

 

 sptop2b-1.jpg





記事・画像 引用・参考元 http://www.yonakofudoson.net/original6.html


そのた画像引用 http://www.yonakofudoson.net/



動画 https://youtu.be/e8bC9fNr3tI  私が選ぶ須坂百景♯073 米子大瀑布(米子町)

動画 https://youtu.be/NBrvJrYE68U 私が選ぶ須坂百景♯033 お山登り

動画 https://youtu.be/tJH40n28lV0 真田太鼓 小生撮影



動画 https://youtu.be/XmPkhAkPMh0 例大祭 小生撮影

動画 https://youtu.be/l2n7L0yfzcc   豆まき 小生撮影





本年の「運」をおみくじで占う! 縁起の良い順番は? なお大吉は実は凶より怖い!一喜一憂することなし! [神社仏閣めぐり]

本年の「運」をおみくじで占う! 縁起の良い順番は? なお大吉は実は凶より怖い!一喜一憂することなし!

謹賀新年!当年2017年が良き1年となるかどうか、運を試す気持ちで引くおみくじ。わずかでも自分に向いたその運を生かすには、運勢を正しく読み解く力が必要だ。では、おみくじの正しい読み方とは? おみくじの研究で知られる愛知県立大学・日本文化学部准教授の大野出さんと、15年以上にわたって全国のおみくじを収集・研究している、自称「おみくじマニア」の鏑木麻矢さんに聞いた。

Q:かつては、僧侶しかおみくじを引けなかったって本当?
A:「おみくじはいわば占いで、仏様のメッセージを受けることができる僧侶が引くものでした。それがどんどんカジュアル化し、戦後は、今のように個々人が引けるものへと変化していきました」(大野さん)
 今でも、滋賀県・比叡山延暦寺横川の元三大師堂や東京都台東区の長國寺など、僧侶がお経を唱えながら、くじを引くところも残っている。

Q:おみくじで、縁起の良い順番は?
A:大吉と凶の区別はついても、吉と中吉、末吉と小吉の違いを・・・・・・・・

 

 yjimage (5).jpg

 

引用・参考元 Excite News <NEWSポストセブン>
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170101/Postseven_479804.html


初詣!今年もいい事がありますように!神社参拝のマナー!正しい参拝で、福を授かろう! [神社仏閣めぐり]

初詣!今年もいい事がありますように!神社参拝のマナー!正しい参拝で、福を授かろう!

年の初めに神社や寺にお参りして、その年の無事をお祈りする初詣。神社を参拝するのもマナーがあります。もしかしたら間違いだらけの参拝をしているかもしれません。
今年の福を授かるように、最低限知っておきたい初詣のマナー(神社)についてお届します。
もともとは、その年の恵方にある神社に「恵方参り」をするのが習慣でした。今は、地元の有名な神社に出向くことが多くなっています。お参りは元旦に限らず・・・・・・・



 

 IMG_8134_1.jpg

引用・参考元 beauty.yahoo News <lifestyle>
http://beauty.yahoo.co.jp/lifestyle/articles/630951



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「一生に一度は参れ善光寺」善光寺 仁王門編 [神社仏閣めぐり]

「一生に一度は参れ善光寺」善光寺 仁王門編

善光寺(ぜんこうじ)は、長野県長野市元善町にある無宗派の単立寺院で、住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊とし、善光寺聖の勧進や出開帳などによって、江戸時代末には・・・・・・


 
 
 
 
P8180028.JPG 
 
 

nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う! [神社仏閣めぐり]

我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う!

【神社仏閣名所旧跡めぐり】

我が郷里須坂市の隣に全国的にも珍しい「九体寺」あり!もっと世に知られてよいお寺だと思う!

九体寺と言えば、京都の浄瑠璃寺が有名である。小生は現役のサラリーマン時代、京都に2年半単身赴任をしたので、休日は殆ど「神社仏閣名所旧跡めぐり」に費やした。普段着の京都・奈良を見ることが出来た。(滋賀県も大阪もそれなりに廻ったが!)その中でもこの浄瑠璃寺は好きなお寺だったので、春夏秋冬10回くらい参拝した。嘗て九体寺は、京の都を中心に30余寺存在したそうだが、この寺以外は戦禍などで悉く消失してしまい、ものの本に依れば、全国にこの1寺残るのみという事だった。

京都を離任し、本社に戻ったが、その折ひょんなことから、世田谷に「浄真寺」という寺があることを知った。地図を見ていたら、九品仏駅というのが目に入ったのである。

これは参拝に「行かない訳にはいかんぞ!」という事で出掛けたのである。大きなお寺であった。ここのお寺は、本堂の他に、上品、中品、下品の3堂があり、それぞれ3体の阿弥陀如来様が祀られております。本堂・3堂合わせて九体の阿弥陀如来様で、併せて九体(寺)であります。

その後停年退職し、故郷に戻った訳ですが、偶々須坂に向かって車を
走らせていたら・・・・・・・・・


 
 
 
 
 
img_30_m.jpg 
 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

兵庫の山奥にある宗教施設凄すぎておろろいた・・ [神社仏閣めぐり]

兵庫の山奥にある宗教施設凄すぎておろろいた・・






とても壮大・・・



とても壮観



本堂が遠すぎる・・・


 
   灯篭が中途半端にデカすぎるな・・・・・・・・
 
 
 
 
 asaasa.jpg

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

御柱祭 霧原大元神社(須坂市上八町)建て御柱本堂に建つ! [神社仏閣めぐり]

 

 hacchoonbasira.jpg

 

御柱祭 霧原大元神社(須坂市上八町)建て御柱本堂に建つ! 

今年は御柱の年!本社の諏訪大社(上社・下社、春宮、秋宮)でも、4月~5月に執り行われた。大社での開催を中心に、全国の諏訪神社や関連神社(通称:小宮)でも同様の祭(小宮祭)が実施された。

 

須坂市上八町の、霧原大元神社も、建御名方神を祀神とする諏訪社であるため、7年毎に御柱祭が行われる。

 

本年はまさしくその御柱祭の年に当り、10月9日に執り行われた。同社では前日、秋祭りで、須坂市で唯一残った「赤熊<しゃあま>」が奉納された。<この秋祭りの様子を動画で・・・


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

霧原大元神社秋祭り!須坂に唯一残る「赤熊(しゃあま)神前に奉納される [神社仏閣めぐり]

shamamaturi.jpg 

 春先に霧原大元神社の前を通り参拝したが、その際、秋に例大祭があり、その際須坂市に唯一残る赤熊が奉納されると知り、改めて例大祭の模様をお伝えすると書きました。10月8日例大祭が挙行されると市報で知り出掛けてみました。須坂市の最南端にある上八町に霧原大元神社は鎮座し、建御名方命と御厩を祀っているのだが、本日は陽もとっくに暮れ、(大体の見当をつけ)、車を走らせたが、なにせ真っ暗なので、勘が働かず、案の定迷ってしまった。(カーナビ故障中)

かなり迷ったが、やっとのことで霧原大元神社を見つける事が出来た。もう6時半も過ぎていたので、赤熊奉納も済んでしまったかと心配したが・・・・・

kamihacchou.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

【神社仏閣めぐり】 真田幸隆夫妻と昌幸が静かに眠る真田山長谷寺 [神社仏閣めぐり]

 真田幸隆夫妻と昌幸が静かに眠る真田山長谷寺

 雪のない時期は上田・小諸方面に行く際は、菅平経由で山道を走った方が、距離も時間も短縮できる。今日は所用で佐久まで行ったのだが、途中山麓線に入り、真田辺りを走っていたら、「真田一族の菩提寺長谷寺」という案内板が目に入った。早めに出て来たので、ちょっと寄り道をする事にした。

 坂を上っていくと、「真田丸」と染め抜かれた幟がやたらとはためいている。やはり大河ドラマの威力は絶大だ。寺は山の坂の途中にあり、駐車場のスペースが取れないためか、数多くあったが、山門から入ろうと思い、一番手前の駐車場に停めた。

   【神社仏閣めぐり】 長谷寺 真田家菩提寺 上田市真田
   https://youtu.be/NPNOS3bEMas

   【神社仏閣めぐり】 真田父子廟所 長谷寺に眠る! 六文銭を形どった賽銭
   https://youtu.be/xX2UlictS9g

   【神社仏閣めぐり】 真田家廟所から長谷寺庭園まで!
   https://youtu.be/9lN_Tci7w0s

   【神社仏閣めぐり】 長谷寺 境内を散策する! 大絵馬に願をかける
   https://youtu.be/8dhmBNNWg7I


 石垣沿いに参道を目指して歩いたが、最初の角を左折しようとしたら、いきなりどん詰まりになっており、ここを曲がっても参道ではないと思い、直進して、回り込んだら、先ほどの曲がろうとした道と交差するところに出てしまった。これは「禅寺の桝型」といって、禅寺ではよくみられる様式なんだそうだ。

 そんな訳でまんまと枡形のトリックに嵌ってしまった訳だが、漸く参道に入り、急坂の石段を登り本堂前に出た。本堂の左手に、藁で作られた大きな馬がおいてあり、絵馬が沢山取り付けられていた。

 本堂右脇の潜戸を抜けると庭園があった。そこから左に回り込んで登っていくと墓地になり、中央を登り切ったところに真田幸隆夫妻と、昌幸の墓所があった。墓所の中の至る所に、硬貨を六文銭の形にしておいてあったが、(御賽銭のつもりだと思うが)ちょっと違和感を抱いた。

 帰り際改めて庭園をみたが、余り規模は大きくないが、ツツジや、あやめが綺麗に咲いていた。境内には枝垂れ桜も多くあり、今は勿論緑一色だが、桜の季節にはさぞかしピンク一色の綺麗な風景が見られるのではないかと思った。

 長谷寺は山麓にある静かなお寺だが、真田一族の菩提寺として相応しいお寺である。
※ 真田家は、松代に転封になり、やはり同じ名前の長谷寺があり同じく真田家菩提寺となっている。

 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る! [神社仏閣めぐり]

 この南屋島の権現様が祀られている場所は、昔の千曲川の渡しの舟付場であった。対岸は須坂である。

 度重なる洪水で、この付近の堤防が幾度となく決壊していることから、水難除けの神が祀られた。南屋島では、権現様は皇大神宮(産土神)と共に里人の心の拠り所になっている。この場所には、土手側から、真中社、戸隠社、金毘羅宮、水天宮が祀られています。

 【千曲川】 南屋島河原に祀られている権現様ほか 千曲川の安全を見守る!
 https://youtu.be/JDfbtzpB4wE

 【千曲川】 屋島橋河原 千曲の流れ滔々の調べも激しき今宵かな!(須坂高校逍遙歌の一節)
 https://youtu.be/NgpsF_7ALGA ←屋島橋直下

 【花紀行】 千曲川ふれあい公園[小布施]  河原の菜の花畑
 https://youtu.be/xmtulx0I50M  ←小布施橋直下

 【さくら紀行】千曲川村山鉄橋下 権現堂桜並木 日本の原風景なり
 https://youtu.be/2YXsTmYquhw ←村山橋直下

 ①真中社・・内務省直轄水害防止工事を指揮した役人の中村真三氏をはじめとする工事関係者に感謝して祀られた。

 ②戸隠社(権現様)・・江戸時代には、戸隠権現も、村内安全・災難消滅・九頭竜・川除けにご利益があるとして広く信仰された。天神6年当地に祀られた。

 ③金毘羅宮・・水神として敬われている。水上交通安全の守り神として、文政11年祀られた。

 ④水天宮・・水の神で、洪水除けや干ばつ除けの守り神である。建立年代は不詳。

 この屋島橋の川幅は約800mあり、うち1/3は普段水が流れている部分で、残りが桃やリンゴの畑などになっている。堤防の高さは15mくらいはあるが、洪水時は、800m一杯に橋桁直下まで水が溢れる。屋島・村山・福島・小布施辺りは度々堤防が決壊し、近辺は水害に見舞われた。千曲川河原には、水害防止のためこのような祠が随所に存在する。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

長沼宿林光院は、信徒会役員会が始まるところだった!にも拘らず撮影を敢行したあんたはえらい! [神社仏閣めぐり]

 長沼宿林光院は、信徒会役員会が始まるところだった!にも拘らず撮影を敢行したあんたはえらい!

 長沼宿を北に進むと丁字路になり、その取っ付きは、林光院の山門になっている。その脇に「長沼宿の道標」が建っている。この丁字路を左折すると、三才方面に、右折すると、西厳寺に突き当たる。その西厳寺の山門の手前を左に曲がり、そのまま北方向に行くと、豊野宿に至る。宿場町だったので、やたらとクランク状の角が多い。

 長沼宿は、須坂方面、松代方面と、北国街道の接点になる宿場で、長沼城があったところである。この集落一帯で、寺院・神社は14箇所になるが、往時は31寺社にのぼったという。うち17寺社は移転しという訳だが、そんなに広くもない集落にそれほど多くの神社仏閣が存在したこと自体驚きだ。城の跡は残って居ないが、川中島の合戦時は、松代の海津城とともに、重要な役割を果たしとそうだ。千曲川を天然の要塞とした強固な城だったという事だ。
 
 【神社仏閣めぐり】林光院 信徒会役員会 ボチボチ撮影などしていたら参加者と間違えられた!
 https://youtu.be/LflCc6uWlUU
 

 さて林光院は、こじんまりした寺院だが、山門の手前や奥には、六地蔵や、石塔、石仏などが整然と並んでいた。

 本日は、信徒会の総会の日であった様で、既にお堂の戸は開かれており、集合の時間だったせいか、次々と信徒の方が集まってきた。それでも図々しく、辺り構わず撮影していたのだが、何時もとは違って、背広姿だったので、総会にやってきた信徒と間違われてしまった。「偶々お伺いして撮影させて戴いている」旨お伝えしたら、「代理で息子さんが出席する場合もあるので・・・」という事で、恐縮されてしまった。何時まで経っても撮影なんかしていて、中々入ってこなかったので、質問されてしまったのだろう!? 

 何時もは人が居ない場面を撮ることも多いのだが、こうして人が集まって居たり、イベント中の風景を撮るのはやはり変化が付いて面白い。こじんまりしたお寺であったが、そんな訳で、普段とは違う風景が撮れたと思う。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

【神社仏閣めぐり】 坂田山の麓に建つ天徳寺!入口の筆塚に想う! [神社仏閣めぐり]

 天徳寺は、須坂の里山「坂田山」のふもと、また須坂市営「坂田霊園」の入口に位置する寺です。小生の家の墓が、偶々この霊園にあるので、時間があれば、階段を登り、拝観するようにしています。また天徳寺の裏手の高台からは、北信五岳や、北アルプスが見渡せます。晴れた日の午前中は「カスミ」が掛からず遠くまで山容を見ることが出来ます。


 天徳寺井上源氏三郎満定の九男静実が真言宗天徳寺を創建したのがはじまりとされています。その後元禄7年(1694)に、僧常清が残された諸仏を供養して再建し、宝永4年(1707)須坂市春木町の浄念寺の末寺となり、浄土宗に改宗したお寺です。山の尾根に観音堂などが点在しています。須坂の里山=坂田山→明覚山の登山口の1つになっています。

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺「新四国霊場88ヶ所案内弘法!-須坂坂田町 
 https://youtu.be/2nXn-MIJVKs  ←clickしてみてください!天徳寺の動画です!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺参道にある地蔵尊 嘗ては広大な境内だった天徳寺
 https://youtu.be/J7l0sIeybfI   ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺 観音堂ほか諸堂(諸仏)を参拝する!
 https://youtu.be/LZvge9dY42Q  ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 坂田山 天徳寺 境内を散策する! 獣侵入防護柵が境界線
 https://youtu.be/G4uLsdyH0y0  ←clickしてみてください!

 【神社仏閣めぐり】 天徳寺 坂田山中腹から、境内を下る!
 https://youtu.be/NDp_ehhYIZU  ←clickしてみてください!

yjimage (2).jpg


 この寺の入り口の階段登り口の左側に大きな筆塚があります。天徳寺17代住職に就いた田幸正粲<タコウセイサン>は須坂市穀町に生まれ、末広町正願寺で書法を学びました。正願寺の住職の死後、その跡を継ぎ、また寺小屋の師匠にもなりました。天徳寺住職に就いたあとも、寺小屋にて子弟達に書を教え続け、また明治時代になると、須坂小学校の教師や坂田役場職員も勤めたこともあったそうです。この筆塚は、田幸正燦の弟子31名によって明治40年に建立されたものだそうです。須坂には、寺子屋や、私塾が数多くあり、師匠を偲ぶ意味や、謝恩の気持ちを表すために、筆塚を建立する例が多くあり、市内には80余基存在するそうです。

 そのことからも昔の師弟関係の深さ、人間関係の密さを知ることができるのではないかと思います。「仰げば尊しわが師の恩」という言葉やその意味するところは、小生の小学校や、中学の頃はしっかりと残っており、先生は尊敬の的でした。実際先生も熱心で、厳しい先生が多かったと思います。未だにその厳しさを思い出します。現在は教育現場も、我々の頃とは事情が大きく変わっているようですが、信頼感が戻って欲しい気がします。[師弟間に限らず、親子関係も含め]


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

【神社仏閣めぐり】 西厳寺 下総国磯部6寺の流れを汲むお寺!遂に拝観す! [神社仏閣めぐり]

長野市長沼大町にある西厳寺遂に拝観の機会を得る!
 千曲川村山鉄橋から、長野市側の堤防の上を走る道路を下流に向かって5分ほど走ると、木々の上に大きな屋根が見える。堤防を下り降りたところに、以前から探していた西厳寺があった。本当に千曲川の堤防直下にあるため、過去洪水の被害に幾たびかあったのではないかと思った。

 浄土真宗大谷派 以前須坂市の普願寺・勝善寺の稿で書きましたが、この西厳寺も、磯部6ヶ寺に関係するお寺です。浄土真宗開祖親鸞高弟の二十四輩の一人善性が創建した下総国の磯部勝願寺(茨城県古河市)の流れを受け継いで、北信(1寺は越後)に建てられた六つの寺院の内の1つです。
 
 この寺が有名なのは浄土真宗再興の祖と言われる蓮如上人との縁が深く、また実際蓮如上人もこの寺に2回立ち寄っています。特に1472年には越後吉崎から草津温泉へ行く道中約2ヶ月間滞在したという記録が残って居る。その縁もあってか、この寺には蓮如像を安置する蓮如堂があり、毎年4月25日に蓮如忌がおこなわれています。境内は人で溢れるとのことです。しかしこの縁日は雨に祟れることが多かったそうで「尻絡げの蓮如忌」として有名だったそうです。[雨で着物を端折って参拝したので]

 また境内には蓮如上人袈裟掛けのイチョウなるものがありましたが、現在は樹勢が衰えたせいか切られていますが、その切株の脇から新たな幹が育っていました。境内には他に、教如上人第一女智光院妙空禅尼の墓、小林一茶の門人西島士英の碑などがあります。[長沼は小林一茶とも縁が深く、長沼十哲と言われる多くの門弟がいた。集落に句碑が多く点在する]

 【神社仏閣めぐり】 西厳寺 長野市長沼 下総の国磯部6ヶ寺の流れをくむ寺院
 https://youtu.be/k_XF3_KXPOc

 蓮如上人について。本願寺第8世。蓮如[応永22年(1415年) ~ 明応8年(1499年)]は室町時代の僧。・・・異宗や他派に押され劣勢だった浄土真宗本願寺を中興し、現在の礎を築いた。講と呼ばれる組織を築き、宗勢を巻き返した。また親鸞の教えを伝えるため、御文あるいは御文章を認め、本願寺は爆発的に発展し、一向宗と呼ばれるようになった。

 しかし磯部6ヶ寺が何故信州の地に集団移転したのか謎だ![それも須坂に2寺も!しかも2寺ともお堂が市の規模としては非常に大きい! 序でに言うと須坂市井上にも、長野県最古の浄土宗の寺と言われる浄運寺もこの2寺に匹敵するお堂の大きさである!] 大和族の東征に関係するという墨坂神社[奈良県宇陀に墨坂本社がある]も須坂に2社あり、何か須坂は我々の伺い知れない「秘めたる何か」があるのかも知れない。←大袈裟な!

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行
前の30件 | 次の30件 神社仏閣めぐり ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。