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【須坂探訪】 郷土の教育の盛んなりし頃の象徴! 園里学校 [須坂探訪]

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 須坂市豊丘にある、延命地蔵堂のアズマヒガン<=エドヒガン桜>は、毎年見に行っている桜ですが、その坂を上がったところに、(旧)園里学校の建物があります。平成4年より、2階を地域の博物館施設として、明治から昭和初期にかけての学用品や机など備品を展示し、1階は児童クラブとして活用されています。多くの子供の教育に関わってきた施設ですが、須坂の教育の様子・歴史を伝える重要な役割を今も担っています。平成5年に須坂市指定有形文化財に指定されました。

 旧園里学校は明治6(1873)年に小山村の止善(しぜん)学校【明治6年に須坂市小山の円光寺内に説立された学校で、現在の小山小学校の前身です】の支校として、旧地蔵堂の建物を使い、開校されたことに始まります。明治12(1879)年に競(きょう)進(しん)学校と改称され、更に明治15(1882)年に園里村立園里学校と改称され、その校舎[完成明治16年]として建てられました。この校舎は明治10年代まで役所や学校などに多く使われた、擬洋風(ぎようふう)建築と呼ばれる、日本建築を基礎とした西洋建築のデザインを採用しています。主屋は外壁が土蔵造で屋根は桟瓦葺(さんかわらぶき)と和風ですが、正面の玄関ポーチには、ギリシャ建築を思わせる円柱が使われ、外壁の四隅の角には漆喰を盛り上げて黒く塗り、石積みを模した装飾がされるなど随所に擬洋風が見られます。また、玄関上の六角の部分は「太鼓楼」と呼ばれ、当時は「太鼓」を置いて時を告げる場所として使われたいたそうです。
 
  旧園里学校  須坂市豊丘 教育の歴史を如実に示す貴重な遺産 
  https://youtu.be/JXaMtxNU8Bc ←clickしてみてください! 園里学校の映像が出ます。

  旧園里学校 須坂市豊丘(旧園里村) 教育の歴史を語る貴重な建物
  https://youtu.be/_BwJgkHAiUs ←clickしてみてください!
  

  【さくら紀行】 延命地蔵のアズマヒガン桜 今盛りなり!
  https://youtu.be/IxRGEAVifPg ←園里学校の直ぐ傍にあるアズマヒガン桜満開の動画です。

  【さくら紀行】 延命地蔵堂のアズマヒガン桜 それぞれの桜咲き競う花の丘
  https://youtu.be/B49D97Yr8E0 ←clickしてみてください!

 
 昭和4(1929)年の校舎新築移転以降、豊丘村役場や市福祉企業センターなどに利用された後、平成4(1992)年、復元修復工事により明治時代当時の姿に復元され現在に至る。
 
 これは余談ですが、この建物から4・50m下ったところに、須坂市指定の天然記念物樹齢400年の「延命地蔵堂のエドヒガン桜」があるのですが、常々「地蔵堂はどこにあるんかいな?」と思っていたのですが、園里学校の創設期に、このお堂を利用していた事、後に手狭になったので、増・改築したこと、(その間丁重に祀られていた)また、現在お地蔵さんは、「太鼓楼」に奉られていることなどが判明しました。

 長野県は、教育県としても有名だったのですが、この様に明治の早い時期に、各地で擬洋風の学校が造られました。松本の開智学校、佐久の中込学校などが有名ですが、旧東村豊丘(園里)にもこうした立派な教育施設があったことは誇りに思いました。





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