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【人に歴史あり】北野武が浅草に辿り着くまでの「ファミリーヒストリー」今夜(21日)。ヨイトマケの母とペンキ屋の父、そして… [人物]

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【人に歴史あり】北野武が浅草に辿り着くまでの「ファミリーヒストリー」今夜(21日)。ヨイトマケの母とペンキ屋の父、そして…

NHK総合で12月21日7時30分から「ファミリーヒストリー」の北野武編が放送される。著名人のルーツを辿る同番組は、多くの新事実を綿密な取材により明かにしてきた。公式サイトによれば、今回の武編では、祖母に関する手掛が東京大学で発見されたことから、それまで謎だらけだった北野家のルーツが次々に浮かびあがるという。
武はこれまでにも自分の家族について折に触れて語ってきた。自伝的著作『たけしくん、ハイ!』や『菊次郎とさき』がテレビドラマ化もされたこともあり、両親や少年時代の話はよく知られている。しかし、彼自身が語ったものを読んでいると、たしかに謎も多い。
父・菊次郎は、母・さきにとって二番目の夫らしいのだが、武はそのことを大学生のころに長兄から教えられた。また、菊次郎の兄弟はみな母親が違ったらしい。しかし、くわしいことは兄も母も言いたがらなかったという(北野武『孤独』)。

■奉公、婚約者の死、夜逃げ……母・さきの波瀾の半生■

母親のさきは武とCMで共演したり、武が事件などを起こす度にマスコミにコメントを求められたりして、表に出てくることもしばしだった。1988年には『ここに母あり 北野さき一代記』と題し自らの半生をつづった著書も刊行している。それを読むと、武の発言とは食い違う点もチラホラ出てくる。例えば、武は前掲の『孤独』のなかで「おふくろの最初の旦那は中尉だったらしい」と話しているが、さきの著書や北野大(武の次兄)の著書『なぜか、たけしの兄です』によれば、実際には明治大学を出てセメント会社に勤めるサラリーマンだったという。そもそもその人は、挙式の直前、盲腸炎で急死してしまい、実際には結婚まで至らなかった。
その婚約までの経緯というのもなかなか複雑だ。さきの生年からして、戸籍上は明治37(1904)年となっているものの、じつは父親が出生届を役場に出すのを数年忘れていたので本当のところはよくわからないという。武の祖父にあたるその父親・小宮岩吉は千葉・市原の素封家だったが、やがて破産。その為、さきは・・・・・・・・

 
 

 

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記事・画像 引用・参考元 Excite News <reviewmov (近藤正高)>
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20161221/E1482283294057.html




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