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須坂市仁礼中村に保存されている「郷蔵」と、旧宿場町の面影を訪ねる! [旅]

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須坂市仁礼中村に保存されている「郷蔵」と、旧宿場町の面影を訪ねる!

大笹街道とは、→須坂市仁礼→仙仁を経て、菅平を抜け、鳥居峠を越え、群馬県妻恋村にて、大笹に出る旧街道のことである。須坂市仁礼は当時の宿場の面影を微かではあるが残している旧宿場町であるが、今は新しい道[国道406号]が出来て、旧街道筋は、地元の人の専用道路(!?)みたいになってしまった。その旧道と新道が交差するところに、「郷蔵」が移築保存されている。以前は、仁礼村の中心地中村地籍にありましたが、財団法人仁礼会の事務所建設に伴い、この場所に移築されました。間口6間、奥行3間、一部に中二階を備え、藩政時代の郷倉の様相をよく伝えていると言われています。

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 郷蔵とは、江戸時代村々にあった年貢米を収蔵した倉のことで、年貢米だけでなく、凶作に備え、非常食として米や雑穀が貯蔵されていました。。のちには貸出しも行われた。郷倉の建物は村有,官有などがあってその村々でまちまちだが,敷地は免税地で,普通村役人が管理した。

 
 江戸時代の仁礼村は、松代藩に属し大笹街道[北国街道よりも距離も短く、関所などもなかったため、この街道を通る人が多かったと言われる]の宿場町として栄えました。郷倉のあった中村周辺には当時の面影を残す豪壮な家並みが残っています。郷倉の建築年代ははっきりしませんが、江戸時代後期に改修工事が行われたことが記録に残っています。
 
 郷倉は別名お蔵(くら)とも呼ばれ、明治以降改築や建替えが行われ、藩政時代の面影を伝える郷倉は急速に姿を消してしまいました。長野県下でも残っているのは非常に少なくなってしまったそうです。注意して車を走らせないと、見過ごしてしまうような郷蔵ですが、合わせて、仁礼中村の旧道を散策し、宿場の面影を訪ねるのも一興です!

    郷蔵 今も残る数少ない郷蔵 蔵の町須坂仁礼中村地区 嘗ての宿場の面影を訪ねる!
    https://youtu.be/ACmaq2Q29UE




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