国民年金の運営主体が市町村から都道府県に変更される事の意味!国民皆保険の行方! [日記・雑感]
運営主体が、「市町村」から「都道府県」に代わるとこの処置が出来なくなります。どういうことかというと、新方式だと、都道府県が、全体の医療費を推計し、市町村に対して「徴収額」を振り分けることになり、この方式だと、議会承認という手続きが省かれた分、「法定外繰り入れ」が事実上できなくなるとい事を意味します。実際どういう現象が起きるかというと、予め運営主体の都道府県が、赤字額を予想した上で、加入者の保険料をアップさせて来るという事になります。
これにより保険料がいくらアップされるかは、既に試算【官僚はこういう事には力を発揮する!】されていて、年平均39000円の値上げとなるとのこと。これはあくまでも国民年金対象者全員が払った場合の平均試算額である。どういうことかというと、現状の国保加入者の無職者の比率は40%で、職はあっても年間所得100万未満の世帯が【全所得者の】半数いて保険料を払っていない部分の比率が高いのが国民年金の現状となっているが、保健を払えている人は、この未払いの部分を事実上負担するので、年間収入の9.9%となり、その負担がますます重くなるという事になる。
それじゃあ不公平で、批判も出るので、行政も「それじゃダメじゃん」とばかりに、未払いの世帯に対する徴収=取り立てが増々苛酷になるという構図になる。地方税法上「生活の主たるものの差し押さえは出来ない」という規定があるが、瀬に腹は代えられないとばかりに、お代官様のお達しがエスカレートすることが予想される。今でさえ、農家に対して、トラクターやコンバインの差し押さえが平然と行われている。[自動車税の滞納でも、昔はかなり寛容だったが、今は即刻差し押さえをしてくるというご時世である!]
都道府県に運営主体が移行しても、徴収率が上がらない市町村に対して、補助金のカットというペナルテイを課せられるから、市町村はそれを回避するために、増々差し押さえを強化し徴収を推進しようとする。かくして只でさえ多い滞納者がますます増え、無保険状態で医者に掛かれなくなる人が巷に溢れることになる。
そもそも公的医療保険未加入で、医者に掛かれない人は、(現状で)全国で50万人存在する。その予備軍と言われる、保険料滞納者は124万人もいる。[その内訳は短期被保険者証対象者【一旦全額を支払いあとで70%戻る人】101万人、国民保健返納者で「資格証明
書」での受信者23万人。ただし全額自己負担になる。この人たちは、今でさえ崖っぷちに立たされており、2年後無保険者に陥る可能性が非常に高くなるという事を意味する。即ち世界に冠たる国民皆保険制度の崩壊を意味することに他ならない。生き辛い世の中に増々なっていく!
信州では、住宅隣接地の山際でさえ、「クマ注意」の標識や侵入防止柵がやたらに存在する! [日記・雑感]
ここ2・3年県内では、住宅地にクマが出てきたというニュースがやたらに多くなった! もっとも住宅地に隣接している坂田山では、住宅から僅か10mくらいのところに、野生動物の侵入防止の柵が張巡されている。そこには電気を通しており動物が触れればショックを与えるようになっている。[しかし野生動物も強かで、学習能力を発揮して、容易く乗り越えてしまうのだそうだ!]
須坂にクマが出てくるのは、ある意味(!?)仕方がないと思うが、県都長野市の、新幹線のホームの上にクマがウロチョロしていたというのは、ちょっと笑えない!びっくりポン!である![旭山辺りから降りてきて、犀川の河原を南の方に進んで来たのではないか!? 新幹線は高架にはなっておらず在来線と同じ高さである]
どうして人の住んでいる所まで野生動物が出てくるのか!? 1つには、林業が廃っていること。それにより山と居住地の峻別が無くなったという事らしい。休耕地の問題もある。荒れ放題なのである。野生動物は山の延長、即ち人間の住んでいるという意識なしで侵入してくる面もあるという。昔はクヌギなどという雑木でも、炭を作るために使われ、里山から幾筋も煙が上っていたものだ! 要するに人が頻繁に山に入り、無言の圧力を野生動物に放っていたのだ! 林業も今新しい動きがあって、復活する兆しもあるというが、相変らず輸入木材に押されて採算が取れない状況にあり、作業も余りできないでいるから荒れ放題になっている山が多い!
また天候異変などが原因で、野生動物が食べるエサが不足しているという状況もある様だ。里に下りて、ごみ収集場所などで、思わぬ餌にありつけば、学習能力を発揮(!?)して、当てにして度々出てくるという事もあるそうだ! もっと大胆なのは、人家に寄ってきて、軒先に置いてある野菜や、もっと大胆な奴は、冷蔵庫まで開けて持ち去る輩もいるという。
防御柵 坂田山の獣侵入防御柵 人の住んでいるすぐ傍に防御策設置されている!
https://youtu.be/a9znBCCa8BQ ←clickして見てください! 動画が出ます!
【里山】 鎌田山 クマ除けの鐘が随所に!ウリ坊もカモシカも!
https://youtu.be/opwFDexb5LY ←clickして見てください! 動画が出ます!
「熊出没注意!」と言われてもなあ! 千曲市倉科地区
https://youtu.be/nfccnTBOL1w ←clickして見てください! 動画が出ます!
また集落の過疎化で、里に人が少ないというのも、野生動物の侵入を許してしまう原因という事だ。こうなると、現在の日本の諸問題が集約されて、この「野生動物が里に出てくるという問題」の原因になっていると言わざるを得ない。
里に出てくれば、人に危害を加えるといけないという事で、地元の猟友会員などが動員されて、殺されてしまう例が多い。
我らの身近な鎌田山さえも、山のあちこちに、クマ除けの鐘が設置されている。チョットした山に登ろうと思えば、ナップザックなどに鈴を幾つも付けて、歩く度に音が出るようにして登る!
鎌田山でさえ、クマは兎も角、カモシカを見たこともあるし、坂田山辺りは、イノシシなども相当数いるらしい。林道のあちこちに、イノシシが掘った穴をよく見掛ける。数年前にクマに遭遇して、追っかけられて死んだ人もいるという事だ。須坂に限らず、信州のあちこちで「クマ出没注意!」などと看板が出ているが、「そうは言われてもなあ!」である! クワバラクワバラ!
「近頃の若けもんは!」とは言わないが! 近頃の若者 親(自分を含めて!)を考える! [日記・雑感]
小生の現役時代の話だが。どうも近ごろの若いもんは・・・といいたくなるような事が多かった!小生の入社したころの会社は、今様に言えば、押しも押されぬ立派な[!?]ブラック企業で、わたしゃ「タコ部屋」に来ちゃったんじゃねえのかと思ったねえ。なにせ人を呼ぶときに、名前を言ってくれない! 「てめえ!この野郎!ちょっと来い!」てな調子だった。それも120kを超える巨漢な支店長で、紺の地に紫のストライブが入っている派手な背広を着こんでいたひとで迫力があった。[誤解の無いように言っておきますが、上下関係が非常に厳しい特殊な業界に属する会社ではなく極一般的な会社である]
そんな環境の中だと、一々言われたことを気にしていちゃあ、命がいくつあっても足りないとばかりに、新入社員と雖も、くよくよせず、表面を合わせて、抜くところは抜いて、まあ!要領よく立ち回っていた。そんな異常な環境だったが、誰一人として、精神的に参って会社に来なくなったなんて奴は皆無だった。[またまた誤解のなきようお断りしておきますが、そういう環境が良いと言っているのではありません!為念!]
今そんなことがあると、会社に来なくなったとか、体が不調だとか、自律神経失調症やら、うつ病だやらで大変なことになってしまう。営業職から、事務職に変わったなどという例も多いと聞く。
近頃の若いもんは、親にも叱られた事がないのではないか!? 非常に「デリケートな感じがする人」が多いと思う。まあ!新入社員の頃の小生のような「カエルの面に何とか」でも困るが、一々自分の身に感じ過ぎて、くよくよしても「なんだかなあ!」と思わなくはない! [実際<テメエのような奴は「カエルの面にSHONBENて言うんだ!」と何度言われたか判らん!>]
核家族化したころから、精々多くても2人くらいしか子供が居ないお宅が増えた。勢い子供に手間ひまを掛ける親が多くなったのも原因の一つになっているのではないか?
私のような団塊の走りのような世代では、兄弟が4人や5人なんて家はザラに存在した。私も4人兄弟だったが、食事なんかも、大した内容の食事ではなかったうえに、当時は副食なども小分けなんかしなかったから、モタモタして居れば、食いパグれてしまうから、食事と雖も戦争だった! 大袈裟に言えば命に関わった。
中学の時、昼休みに、遊びに夢中になって、午後1番の授業に、集団で遅刻したことがあり、素直に謝れば事なきを得たのではないかと思うが、屁理屈を言い放ったおかげで、男子生徒全員<即ち連帯責任とやらで>24名(当時1クラス45名くらいだった)が、ずらっと並ばされて、教師に端から殴られたことがあった。教師も教師で、10人くらいまでは素手で殴っていたが、途中からスリッパで殴りだした。小生は出席番号9番だったので、素手で殴られた口だったが、頬に手の跡が浮かび上がるほどひっぱたかれた! 家に帰って親に「そんな事があった」と話したら、「そんなもんおめえ達が悪いに決まってるだねか! いい薬になったわ!」の一言で終わり。これが今だったら、体罰とやらで、ものの見事に新聞沙汰だ![小生の小学校1・2年の担任の先生は女の先生だったが、後に教わった先生(すべて男性)の誰よりも厳しい先生だった!両手にバケツを持たされて廊下に立たされたなんてほんの序の口だった! 6年前にお亡くなりになったが毎年年賀状の遣り取りをさせて戴いた]
鉛筆自体も使わなくなったせいもあるかと思うが、我々の頃は、小刀というのがあって、それで削って芯を出して使ったものだ。慣れない頃はその小刀で手を切って痛い目に遭った。だから手を切らないで鉛筆を削るにはどうしたらいいかとか自分なりに考えた。近頃のお母さんはこれに限らず冒険(!?)などさせないと聞く。
昭和の親は、子供が粗相すれば、竹の物差しなどで、遠慮なく叩いた。これが涙の流すほど身に応えた。しかし「顔や頭」とやらを決して叩かなかったのが昭和の親であった。後で「痛いの痛いのとんでけえ!」など唾かなんか適当に付けて擦ってくれたりもした。[それなら最初から叩かなければいいじゃないかと思ったりもしたが!]
ものに当たるのを忌むのは単に「ものを大事にせよ」ということを言っているのではない。最近の犯罪は児童・老人虐待・虐めなどが多発しているが、ヒトをものとしてしか見れない、ものとしか扱うことが出来ない結果だと思う。ものにも命が宿る。ましてや「生き物においておや!」である。近頃は竹の物差しで叩いても、唾を付けて擦ってくれた愛情に欠けるのである!
【花紀行】 千曲川ふれあい公園 河原に咲く一面の菜の花 鯉のぼり風に乗る! [日記・雑感]
朝起きたら快晴!昨日TVのニュースで、小布施の千曲川ふれあい公園の八重桜と菜の花が見ごろと言っていたので行って来ました。堤防沿いの八重桜の並木は4kmに亙って続いており、「行けども行けどもまた桜」という趣だった。
千曲川の河原も、リンゴ畑や、桃畑になっているのだが、それぞれ花をつけ始めたという感じだが、まだ満開までは4.5日は掛かりそうだ。菜の花は「今まさに盛り」と言わんばかりに咲いていた。堤防を下って、河原に行ってみた。流石にソメイヨシノは散ってしまい、葉桜になっていた。千曲川も、村山橋や、小布施橋辺りは、川幅850mくらいあり、うち1/3は川が流れているが、 2/3は耕作地や、リンゴ・桃などの畑になっている。
菜の花は観光用に植えたのかどうか解らないが、小布施橋の辺には2箇所1面の黄色の絨毯になっていた。独特の匂いの中、橋に向かって歩いてみた。小布施橋直下の菜の花畑には、鯉のぼりも風に乗って泳いでいた。
【花紀行】 千曲川ふれあい公園[小布施] 河原の菜の花畑
https://youtu.be/xmtulx0I50M
【さくら紀行】 千曲川ふれあい公園(小布施)菜の花と鯉のぼり
https://youtu.be/WkF2v294nTw
千曲川の河原は、桜が終われば、今度は1面濃いピンクの絨毯に代わる。小布施橋の方ではあまり本数がないが、村山橋の辺では、1面桃畑が拡がっていて、北信五岳を背景に綺麗な絵が撮れる。
天気もよし、桜も菜の花も綺麗で、気持ちの良い1日を過ごすことが出来た。
新宿ゴールデン街火災沈火直後に「K社の社員」が200店の飲み屋を近火お見舞いで訪問! [日記・雑感]
昭和の香りを色濃く残した、新宿ゴールデン街の一角が火事に遭い10数店が焼け落ちた。
午後6時に鎮火した。容疑者が逮捕されたが、実はこの火災の裏で、激烈な戦いが繰り広げられていた。
ゴールデン街でバーを営む、あるママが言う。「午後7時過ぎかな? K社の営業の方がやって来て、<この度は・・・>と言って、近火お見舞いと記されたタオルを持ってきてくれたんです」また、別のママも、「店を開けて暫くして、近火お見舞いに・・・」「こちらはご無事でしたか?何よりです」と店に入ってきました」「うちは30年お宅のビールをとってますよ」と言ったら、嬉しそうに笑って、「宜しかったら、ご挨拶差し上げてもよろしいでしょうか?」と言って、名刺をくれました。「何かありましたら、よろしくお願いします」と言って帰っていきました。「まあこんな時、顔を出してくれる、彼等に対して悪い気はしないわね!」とママは言った。
新宿を営業エリアに持つK社の支店の有志8名が、「盛り場には、自分の会社のビールなどを御贔屓に長年取り扱って戴いているお店がある筈だから、安否確認とお見舞いの気持ちをお伝えしたい」ということから、200店ほどのお店に訪問したそうだ! 多分彼らは、卸店チャネルを担当する営業社員[名刺を差し出したことで解る]で、その店に顔を出して、[注文を取り、商品を届けるのは酒販卸店社員だと思うが]、こうして非常時に、メーカーからも駆け付けてくれるのは、例えタオル一本でも心に届いたのではなかろうか?
いまビジネスライクで、取引は取引、商売外の付き合いは不要と言う様な色合いが濃いご時世ではないのか? 他のビール会社も、同じように近火お見舞いで訪問したのだと思うが、迅速さと、挨拶先の数では、K社が圧倒していたそうだ。恐らく営業を終えて帰社していた社員が、他にいろいろやることがあったと思うが、何をさておいてもと思って、鎮火後30分という時間に現地に駆けつけ手分けして訪問したという事だと思う。また支店長や、次長クラスも、1時ころゴールデン街が燃えていることを知り、お見舞い訪問に備えて、タオルの調達等をしたりして体制を整えたのだと思う。
こういう気持ちが、バーのママは勿論、ママのお客にも伝わり、結局は、商品やブランド、引いては会社のイメージアップにも波及する。会社のイメージも上がるってもんだ。近頃は反対に、データを改竄したとか、偽装したとか、そんなマイナーなことが続発しているが、信頼を築上げるのには、時間も・手間(まごころ)が掛かる。一長一短では出来ぬ。崩れるときは一瞬である。そのせいか、こういうエピソードは少なくなった! 逆に信頼を裏切れば、会社自体の存続すら危うくなるというのにそういう事例が後を絶たない!
採石場 採石場登ってみる! 冬のせいか一面茶色で一層殺伐とした風景 信州「栗の里小布施」にて! [日記・雑感]
この無残な山容は砂利の採石事業で年々崩されているのである。 松川扇状地に吹き出した溶岩(安山岩)が砂利には最適なのか、道路舗装などに利用されている。長野オリンピック施設建設にも1役買ったという。
松川に面した雁田山の雁田不動、中山不動地積では、すでに高さ百メートル以上、幅7、8百メートル、奥行き百メートル以上に山が崩され、このまま採石が続けば、遠からず美しい峯の一つがなくなってしまうだろう。[雁田山は、遠目から見ると3つあり、如何にも「山」の字を連想させる]1日1日と崩され、剥き出しの山肌を晒す雁田山を毎日みつめる近隣の人々は、「あんなに、自然を崩していいもんでしょうか」と囁き合う。
一方では、採石による山崩れの危険を心配する人も多い。 また、歴史的な遺跡群=「雁田古墳群」も、 国の重要文化財に指定されている雁田薬師堂、大城、小城跡、葛飾北斎が描いた「八方睨みの鳳凰図」や福島正則の廟所や、カエル合戦の池(一茶の痩せガエル負けるな一茶これにありとよんだことで有名)のある岩松院などなど。歴史的に貴重な建造物も多い。
採石場 採石場登ってみる!冬のせいか一面茶色で一層殺伐とした風景 「栗の里小布施」にて!
https://youtu.be/4r7Z-9ozJgw
採石場 雁田山採石場 無惨なり! 信州「栗の町小布施」
https://youtu.be/3vbBFQxtMi4
採石場 雁田山採石場 時々ダイナマイトの爆発が! 栗の里小布施町町
https://youtu.be/W9o7Bqb9iDk
さて幾ら経済的な要請と雖も、自然をそうまでして壊していいのかという問題にならざるを得ないのではないか? 人類は、地球にとって、「がん細胞だ」という人が居るが、人類の進化は、がん病巣を拡大させた歴史ともいえるだろう! 人類一人が栄えて、肝心の地球[宿主]が癌になってしまったら、がん[人類]もまた滅ばざるを得ない運命になる。驕るべからず!
老人漂流時代!老後破綻(破産)!は[中流層であろうと]誰でもなり得る! [日記・雑感]
「下流老人」を執筆した、藤田孝典氏は、「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその虞のある高齢者」と下流老人の定義(!?)付けをしているが、高齢者に「あなたはどの層に居ると思いますか?」と聞くと、今でも90%近くの人が、「中流」と答える。ところが現在の所得データを見ると、中流と言える所得者は35%程度しか居ない。高所得者は多く見積もっても、5%程度だから、実質的に貧困層に足を突っ込んでいるのに、自分は中流だと思い込んでいる層が、25%もいるという事になる。
「逃げ切り世代」と、揶揄される団塊の世代は、そこそこの退職金を貰い、年金も貰えるから、安定した老後を送れると思われてきました。がしかし、バブル崩壊後は、退職金も現象化傾向にあり、年金もシステムが破綻しているから、この先どうなるか全く不透明=不安定な状況にある。
年金だけで暮らす団塊世代の預金残高は、年間で90万ほど目減りし続けているというデータがある。所謂預金の取り崩しである。団塊世代の20%は、貯蓄が100万未満だという。(内閣府データ)ということは、預金を取り崩して凌ぐと言っても1年しか持たないという事であり、以降生活が成り立たないという事になる。[前述した様にそれでも自分は中流と思っている人が多い。それは思いたくないという事かも知れないが、何れにせよ落ちる要因はゴロゴロ転がっているという事である]
(そういう願望を抱いているからこそ)「働けば何とかなる、節約すればそこそこ行ける」という思いに至る。しかし小生の経験では、求人欄には、(バイトでも契約社員でも)年齢不問と書いてはあるが、実際は60歳まで、目一杯譲歩して貰っても65歳までという年齢制限が掛かる。あとはシルーバーバンクに登録するとか、お情けで知り合い・友人に頼るしかない! [仕事にありつけても、精々時給800~1000円くらいだ]
さらに子に対しては、「世話にはならない、迷惑を掛けたくない」という言わば親心を持つ為、一層の老後破綻を招いてしまう。現在40代に差し掛かっている団塊ジュニア世代は、就職氷河世代で、自分たちの生活が精一杯[貧困は子自体にも迫っている]というケースが多い。[子がリストラに遭えば即行き詰る]この様に現代世代の雇用の崩壊が、即親の老後の行きにくさに直結しているか解ろうというものだ。こうして、親・団塊世代の本人・子それぞれの生活の不安定化に直結している。こうしてどんどん中流層から脱落していく。
まあ貧困老人に陥るのは本人の責任だという向きもあるが、社会構造上の問題が大きい。平均寿命が延び、90~100まで生きられるという時代である。しかしその生活を維持するための経済的裏付けがなければ、生きていくことも難しい。大変な時代になった。
須坂で1番親しまれている里山 鎌田山(通称かんだやま)の想い出!雑感! [日記・雑感]
この山から、坂田山、明覚山、奈良山(なろうやま)、悪婆山、破風岳、御飯岳、黒湯山と山並みを連ね、遠く白根山に行きつく。もうそこは群馬県である。鎌田山は、まさしくこの山塊の最西端に位置し、須坂市街地との接点の山なのだ。
この山は小学校時代のまさに遊び場で、放課後になれば、悪ガキ(北信では、がたく坊主と呼び、勿論小生も、その中の1人であった)仲間と度々上り、[簡単に登れたので、頂上という意識はなく、他の遊び先の通過点くらいに思っていた]、そのまま反対側に下り、鮒池や洞窟に行って・・・・・
「蔵の町須坂」 嘗ての製糸業繁栄の象徴!須坂映劇が遂に解体の憂き目に! [日記・雑感]
大正時代、県下でも有力な製糸の生産地だった須坂は、繁栄を呈し、須坂は活気のある町でした!「須坂劇場」は、その繁栄の象徴として立てられ、町民[当時須坂町]に娯楽を提供しました! 映画の上映が主でしたが、年に何回かは、美空ひばりや、島倉千代子などがやって来て、特別興業[芝居と歌謡ショー]を打ちました。私も4・5歳のころ祖母に連れられて見に行った記憶があります。そんな須坂劇場でしたが、昭和30年代後半に入り、各家庭にTVが入る様になり、以降映画も不振を託ち、「須坂劇場」は廃業。のちスーパーマーケットとなりましたがやはり廃業となり、暫くその姿を残しておりましたが、この度解体の憂き目となりました。嘗ての須坂の繁栄の象徴だった「須坂劇場」でしたが、建物さえも消えていくのはやはり寂しい限りです!
須坂映劇 遂に解体の運命に! 嘗ての栄光を閉じる! 蔵の町須坂
https://youtu.be/KxekxpkA1Bc
須坂劇場遂に解体の憂き目に!「須坂映劇の看板」現る!
https://youtu.be/5lG2VBy07Yo
須坂映劇 解体のその後 映画館からスーパーに改築した際屋根もリフォームしたのかやけに真新し
かった!却って悲しい!
https://youtu.be/vgIncenuY4s
須坂映劇 遂に解体となる! 時代の流れとはいえやはり寂しい!
https://youtu.be/KwoO9vm_DCM
須坂映劇 解体 華やかりし頃の昔が偲ばれる!
https://youtu.be/FDcJV_4Ickw
須坂映劇 解体中 楽屋の落書き[?!]
https://youtu.be/ldHiHXtTrXQ
須坂映劇 暫く行かなかったら建物は既に姿が消えていた!
https://youtu.be/L62QxnTvKG0
須坂映劇 遂に建物は1部を残して姿を消す!
https://youtu.be/B_C6mrm_ego
須坂映劇 完全に解体されてしまった!
https://youtu.be/SKE15goiJjk
中学校の通学路を50有余年ぶりに歩いてみた!懐かしさ込み上がる! [日記・雑感]
https://youtu.be/-doTMOBLPtA
常盤中学校から55年振りに通学路を歩いてみた!
常盤中学校 我が母校 朝7時なのに登校する生徒多し!
https://youtu.be/VpKOXIVDlQc
須坂小学校!我が母校!「懐かしさ」こみ上げる!
https://youtu.be/Tu_zRZ6zr3Q
我が母校 須坂小学校 建物は全然変わってしまった!
https://youtu.be/INq2BPo_uQ0
正当性」と「合法性」ということ! [日記・雑感]
いま斡旋収賄とか、やれ国会内で、「おぬしも悪よのう!」などと、水戸黄門のドラマの中に出てくるような話が嫌というほど起きている。国会議員の政治活動費の処理なんかはものの見事というしかないほどの出鱈目さである。歳費や政務活動費などで、有り余るほど受け取りながら、「ガリガリくん」のたかだか120円くらいの領収書まで出すという有様は本当に異常である。期待する方が無理というインテリジェンスのない話しだ!「民間企業では絶対に通らない話である。ましてや税金から歳費を貰っていれば、尚更に分を律してしかるべき話である。[民間企業は自分が稼ぎ出した金だから好きなように使おうが勝手だが、税金から禄を食んで居れば襟を正して当然ではないか!] これが立法を司る国会議員様の所業というのだから我々貧乏人=納税者は堪ったものじゃない。人に法律を遵守せよという立場の者が、(自分の作った中途半端な)法律も守れないというのは、どう考えてもおかしいし、恥を知れと言いたい!
活動費の説明のつかない事態に陥っても、「法律に違反していない」という一点で、不問に付せられるのは、我々納税者からみれば「ふざけるな!」という一語に尽き周到納得できる話しではない。以前から度々の不祥事が起こり、大甘な規制法も、流石に世論に抗することが出来なくなって、「改正(法律は常に正しい方向に変わるとは限らないが)」されてきた経緯がある。しかし議員の規制を議員自身がやるというお手盛りだから、出来れば「緩フン」状態で収めたいという意思が見え見えだから、厳しくしたように見えて、実は抜け道だらけだったりする。
そんな法律の定めに合致しているという事が、実は「合法」ということの意味なのであって、それに「正当な意味」が備わっているかどうかは、全く別問題である。要するに国民全体に掛かる政治の方向性が、金の威力によって捻じ曲げられないという事が、規制法の主旨であると思うが、それを(意識的に)国民の反発を逸らせればいいくらいの程度で改めているので、合法と正当は一致しないという事が非常に多くなっている。
挙句の果てに、貰った金を返したからとか、発言を取り消したから問題ないとか、やりたい放題にふるまわれ、その上「(大甘な)法律に違反していないから問題ない」とさっさと片付けられて幕を引かれてしまう。
何時まで経っても、斯様な不祥事が無くならないのは、こういう中途半端な法律と、議員の、何をやってもお咎めがないという繰り返しが原因と思われる。やったら大臣どころか、議員も辞めさせられるというくらい徹底したものにしなければこういう事態もいつまでも続く。[大体議員になる人はこういうことはしない、もしやったとしても潔く認め、自らを律することが出来るという高い見識があるという(性善説的な)前提があっての議員だった筈だ!]今は見る影もない!←われわれ平凡人よりも劣るような議員が非常に多い![特に何をするでもないのに高額な歳費を貰えるという安易な立場がそうさせているのだ!高額な歳費を貰っていれば国民のために汗して働くというのが普通の感覚ではないのか!定員なんか削減しなくてもよいから、歳費や政務活動費を半分にせよ!それで嫌だったら、国民のために、さっさと政界を去れ!]
何年か前に、「何とか還元水」農水大臣というのが居て、最後に自殺した議員が居たが、あれは違反したのは明白という事で職に留まらせなかったら、自殺まで追い込まれることはなかったと思う。官邸の立場や、メンツがあった結果だと思うが、黒を白と言い張った挙句、本人は板挟みに遭って、自殺したというのが本当のところだと思う。正当性に鑑みて、悪いことは悪いといって、職を辞せる法意識にしておかないとこういう悲劇は今後も起きる。そんなことも意に返さず、「カエルに面に小便」的な器量(!?)でなければ大臣など勤まらぬというのでは政治は腐敗するのみである。一億総活躍社会!再チャレンジ社会!とお題目を唱えても、高給を食み、不正をいくらやっても再チャレンジ出来るのは(国会議員に限らず)議員様だけなんて洒落にもならない!
「巫女のくせに・・・」などと主客転倒した発想では、今後不祥事は続出するばかりだ。(事実これでもかという程続出している) 公僕という言葉は死語になってしまったと言わざるを得ない状況である。
信州方言 考! [日記・雑感]
改めて、列挙すると、しょうしい→恥ずかしい。もうらしい→可哀想。ごむせえ→汚らしい。わにる→人見知りする。えぼつる→拗ねる。おひゃらかす→揶揄う。おしょくる→へし折る。があたく→散らかっている。かずける→~のせいにする。かまける→愚痴を言う。かんじる→寒い。かんます→掻き混ぜる。きなし→無意識に。げえもねえ→甲斐がない。ごすたがわく→腹が立つ。ごしたい→疲れた。こすっからい→ずるい。こてえる→打撃を受ける。こわい→硬い。おっかない→恐い。このけんまく→こんなにも沢山。べしゃる(又はべちゃる)→捨てる。とぶ→走る。ぼこ→赤ん坊。まくらう→大食いする。まていに→丁寧に。みぐさい→格好悪い。ちょんこづく→調子づく。などなど。
その他に、用例を出して説明する方が解りやすい例として、
○ せう→言う。例 そんなみぐせえことせうな!
○ ~かや?→~かな? 例 そんな事せってんかや?[そんなこと言ってるんかなあ!?]
○ けんまく→あんなにたくさん 例 あのけんまくわにるなんて普通じゃねえよ!
○ げえ(い)もねえ→やっても意味がない。例 そんなことやってげえもねえなあ!
○ まていに→丁寧に。例 そんなみぐせえことしてね(無)で、もっとまていにやらねかい!?
○ やだくて!やだー。例 「(そんなことせって)やだくてえ!」←おひゃらかされた時などに女の子がよくこういう受け答えをすることが多い。
○ があた(又はがわた)→外見。例 そんな側た(がわた)ばかり見てちゃだめだに!~だに と語尾に付けるのは、中信から南信にかけてよく使われる。
○ こてえる→堪える。例 「そんなことせわれちゃこてえるなあ!」
○ があたくは、散らかっている様をせうが、がたくぼうずとは、関西で言う所謂「やんちゃ」と同じ意味である。○ ~ず!→レッツゴーの意味がある! 例 そろそろ行かず! そろそろ行こうか!ちょっと聞くと「(私は)行かないとせっている様に聞こえるが、全く逆で、行こう!という意味である。それでは行かないという時は、「~しず」とせうのだ! こっちも聞きようによっては「やろう」というように聞こえなくもない。ややこしい。
その他 ご参考に!
○ とぶ→走る。信州出身の先生が、都会の学校に赴任して、体育の時間に、生徒に向かって、「よーし!とんでみろ!」と言ったら、だれ1人走り出す生徒はいなくて、みんなその場で「ぴょんぴょん跳ねていた」という笑い話がある! 因みに昔の信州の運動会のプログラムには「とびっくら」というのがあったが、これは「駆け比べ」という事で、所謂「徒競走」のことですな!
○ ずく→億劫がらずにまていにやろうとすること。「そんなこすい事考えてね(無)でずくだせや!」などと使う。逆に炬燵に入りっぱなしで、何もせずモタモタしてると、「このずくなし!」とおっかない程怒られてしまう。[信州の冬は早く来るので、折角の産物を実らせても、モタモタしていると雪が降って収穫を台無しにしてしまう!したがってスケジュール通りに物事を済まそうとするから必然的にせっかちになる!炬燵などに入ってぐずぐずしていると、直ぐこの「ずくなし!」という罵声<!?>が飛んでくる!]
まあちょっと考え付いただけでも、こんなになってしまった。長野県は、南北に220km、東西は北アルプス、南アルプスに遮られており、また北・東・中・南信とそれぞれを渡るときは、峠を越えなければならなかったため、同じ信州でも、方言も全然違う。小生は北信だが、南信などの言葉や、抑揚は全然違い、面食らった程だ。したがって知らなかった方言も多い。いまはTVなどで、所謂標準語が日常語られ、耳に入ってくるので、流石に方言を聞くことはなくなっているが、行政の都合で、昔からの町名が画一的な呼び名となるのと同じで寂しいことだ!時代の流れと言えばそれまでだが!
生活パターンが狂って来ておるぞ! [日記・雑感]
明け方と思った程だから、そんなに寝不足といった感じではないが、また其の儘寝てしまったとしても、2時ころまた目を覚ましてしまい、其の儘起きていたりするパターンがこのと頃続いている。仕事をリタイヤーしているからこそ、こんな出鱈目な生活ができる訳だが、こんな状況が、体にいい訳がない。第一経済的にも良くないし、[寝るときは電気を消して云々と以前書いたが]健康的にも良くない。
両親が健在だったころ、お袋は、宵っ張りで、2時ごろまで起きていて、「ああ!やっと寝たかあ!」これでこっちも漸く気にせずに眠れるなあ!」と思っていたら、今度は親父が(21時ころ寝ていたが)起き出してきて、ガサガサ音を立てるので、こっちも目が冴えちゃって、起き出して、其の儘朝を迎えたなんて事が続いた。[もっともその頃はまだ勤めていて、帰省した際の数日のことだったから]それで済んだが、結構ペースを狂わされたものだった。
今、齢70手前になって、今度は自分が同じような事をやっている。まあ!長野は単身で居るから、特に誰かに迷惑を掛けるという事もないのがせめてもの幸いである。しかし田舎はの生活は健全で、都会のように、夜は賑やかでなく、下手をすれば、どちらの家も11時ころには寝静まっている。もしかしたら、(こっちも寝ていても)電気は付けっ放しでいるので、隣近所には迷惑になっているかも知れない。
こういう生活パターンになるのも、日中余り活動せず、体を動かさないのが原因かも知れない。この間逢った95歳の元気な婆様みたいに、目的意識を持って、運動[近所の散歩でいいので]したり、出くわした人と話すべきだ。体を動かし、会話をすれば、それなりに適度な疲れにもなって、夜も眠れるってものだ!基本生活パターンが 「毎日が日曜日」みたいな事になっているから、昼・夜が逆転のようなパターンになる!注意しよう!
1日1記事はアップしようと思っているが、当記事は不覚にも23:57頃気無しにアップしてしまった。[今日は昼にアップしているので]その必要はなかったので、もう5分も待ってればよかったのに!これも生活パターンが狂っているせいだと後悔した。
日曜日の夕方6時半ごろに始まる、「サザエさん症候群」とは!? [日記・雑感]
今「ブラック企業」なんていうのは、社会問題になって、企業自体が非難されるというような時代になったが、我々が現役だったころは、そんなの当たり前な時代だった。始業時刻は、8時50分~終業時刻は、5時25分だったが、早ければ、朝7時(遅くても8時)には、出社し、(営業をしていたが)、帰社時間が平均8時、営業全員揃うのが、9時ころで、月末などは、それから2.3時間最終売り上げ見込みなどを報告させられて、最終電車にやっと間に合うなどという事は普通の出来事であった。通勤時間は1時間45分くらいかかったので、帰宅は日付が変わっていたことも度々あった。そんな訳で、子供が生まれても、「起きて動いているところ」は休日以外は見たことがなかった。
幾ら営業と雖も、こんな勤務じゃ堪ったもんじゃなかったが、当時はこれが当たり前くらいしか思わなかったから、今からして思うと、そら恐ろしくなってくる。営業手当が、14000円だったが、これは残業になってもならなくても、こっきり14000円という事で、営業職は、簡単に販売目標が軽くクリアしてしまったなどという事は皆無だったから、とどのつまり残業に次ぐ残業状態でも、「サービス残業」になってしまったという事だ! まあ!通勤の疲れと、営業成績の上がらないプレーシャーで、精神的にも、肉体的にも疲れ果てた毎日だった。
入社してから、3・4年目に、週休2日制が導入されたが、それでも休日出勤も多かった。そんな訳で、土・日丸々休めた休日は、華の金曜日で勿論うれしかったが、「どらねこ~!」の歌が始まるころは、「また明日から地獄の営業が始まるか!」という感じに陥って反動で憂鬱になったものだ!
今はそんな事は無くなったが、自営業的な仕切りになったお陰で、時間の押し付けはなくなったが、逆に制約がない分、土日の休息日というのも無くなり、けじめのない生活になってしまった。まあ!毎日が日曜日という事は、毎日が仕事日という事にもなり得るので時間管理はしっかりやらなければと思う。
まあそんな厳しい現役時代であったが、終身雇用制は厳然としてあり、営業目標達成は厳しかったが、社会全体的には、景気は右肩上がりで、ベースアップもそれなりにあったから、良い時代であったという面もあった。それに比べ、今の現役のサラリーマンは、下手をすればクビにもなりかねず、再就職も儘ならず、退職金も怪しくなり、年金なんかは当てにする方が馬鹿だという風潮でつくづく大変だと思う。
そういう我々停年退職者だって、14人に1人の割合で、老後破綻になり、全く先行き不安な時代になった。無い金を少しでも使う事を先送りして無駄には使えないというのだから、GDPの60%を占めるという個人消費などに余計に回せる金がないというのが偽らざる現状なのだと思う。人口も減り、経済環境が縮小基調になると言われる中で、将来の日本が心配になるというのが我々庶民の本音だと思う。[どら猫の歌が、えらく大きな話になってしまった!]
「個人情報の守秘」の徹底ぶりには正直参ったね! [日記・雑感]
個人情報の取扱いについて厳しい取り扱いが求められている。実際情報流出のニュースが幾度となく発生している。群馬県の玉村町に用事があって朝早く長野を出発して、菅平→鳥居峠を超え、群馬県嬬恋村に入り、17号線を目指して走った。
個人のお宅だったのだが、以前2回ほど行ったことがあったので、まあ道に迷うことはなかろうと思って、住所も控えずに出発した。前橋から玉村町に入ったが、ここで、道に迷ってしまい、なかなか記憶にある風景にならなかった。約束の時間の1時間半前に、「傍まで来ている」と電話したはいいのだが、記憶を辿って走っているのだけれど、混乱に混乱をきたして同じところに出てしまったりした。[カーナビはHDDを調整していますとかで故障中だった!]
コンビニなどに入って、役場は何処かとか聞いてみたが、全く場違いなところにいるらしく、兎に角方向だけ示して貰い、賑やかそうな場所を求めて走った。目的の場所は、病院(病院の名前も?かった)の傍にあった記憶があったから、多分役場がある辺だろうという事で役場を引き合いに出しただけなので、聞いて走っている先が正確なのかどうかも解らんから、辿り付ける確率は頗る低いのは当たり前。
更に悪いことに携帯電話が、固まってしまい、画面が先に進まないという事態に追い込まれた。これで万事窮す。折角群馬まで来たが、目的に着くこともなく、帰らざるを得ない事態に陥ってしまった。
何とか、病院までは着くことが出来き、何となく記憶があったので、これで間違いなしと思い、それらしきと思われる分譲住宅地を歩いた見たが、そのお宅は見つからなった。仕方が無いので、病院の駐車場まで戻って、長野に帰ろうと思っていたら、な!なんと!バイクに乗った郵便局員がこっちに向かって走ってきたではないか。これ幸いと、停車してもらい、「▽◆さんのお宅ご存じないですか?」と聞いてみた。「(まあ!郵便配達の人なら)当然知っているだろう! やれやれこれで大丈夫」と正直思ったね!
ところがこの局員から、思いもかけなかった言葉が発せられた! 「済みませんが、個人情報なので、教えることが出来ません!」 「!?!?!?」 不覚にも一瞬状況が把握出来なかった! 一筋の光明!と思ったのに、これで万事休すか! がっかりしてしまった。 それでもこの儘で終わらせてはいかんと思って、咄嗟に出た言葉。「指だけでも差して貰えませんか?」 しぶとい一言だったと自分自身でも思った。 しかしそれも拒否されたのには流石に参った。
そこに向こうから単車がやってきて、分譲住宅の方に左折した際、その局員は目で追って、如何にも「あの方向だ!」というようなニアンスの表情をしたので、それを信じて兎に角行ってみることにした。
目的のお宅は、何とか見つかったが、表札も出ておらず、壁などを塗り替えてあり、以前の印象とは全く違っていたので、解らなかったのだと思う。ブザーを押して、奥さんが出てきてくれた時は、「本当にやれやれ!」と思った。1時間も遅くなり、「傍に来ている」と電話してからは、2時間も経っていたので、「どうしたのか」とえらく心配をかけてしまった。
しかし個人情報の守秘義務というのは、確かに大切と思うが、「ここまでやるのか!?」と正直思ったね! 局員と別れて、そのお宅の傍をウロチョロ探し回っているときに、その局員が再度私とすれ違ったが、構わず通り過ぎた徹底ぶりだった。
近頃の同級会招集でも、個人情報の守秘とやらで、同級生名簿作成・配布も儘らなぬのだと聞き及んだ。いいか悪いのか「!?!?!?」だが、「なんだかなあ!」という気持である!
自然界は帳尻を合わせる!? [日記・雑感]
ご多聞に漏れず、今年の冬は、[寒暖の差が激しかったが]概ね暖冬で、従って雪の降った日も、例年に比べれば非常に少なく、雪が積もれば、大家の立場もあるので、雪掻きもやらねばならぬ訳だが、そんな訳で今年は非常に楽な思いをした。やれやれ「今年は楽だったわい!」と楽を決めていたら、どっこいそうは問屋が卸さないらしい。
北信では、4月の20日過ぎくらいに桜が満開になることが多いのだが、結構「早い、遅いの差」があって、下手をすると、5月の連休辺りに桜の満開がズレ込むことも珍しくない。特に私が好きな、枝垂れ桜は、概ねソメイヨシノより咲く時期よりも遅くなるので、(ソメイヨシノが連休中に咲くときなどは)、枝垂れは、5月の10日過ぎなんてこともザラにある。ブログにも書いたが、3.4年ほど前に、須坂大日向(おびなた)にある、「薬師堂の夫婦櫻」が咲いたというので、朝7時半ころ、写真を撮りに行ったときは、5月の10日くらいだったと思うが、桜は満開、しかし裏の山の杉林は雪で真っ白と言う時があったくらいだ。お蔭で満開の濃いピンクと、杉の緑と、雪の白と言う珍しい写真が撮れたのは嬉しかったが!
その様に5月も⒑日近辺に雪が降るという年は、其の年の雪のシーズンは決まって暖冬で降雪量が少なかった様な気がする。今年も将にその暖冬だったことは確かなので、今年は5月に入っても油断してはいけないのではないかと思う次第である。斯様に[まだそうだとは言い切れないが]自然は帳尻を合わせるものなのだ!
もの事にはタイミングというものが確かにある!うまく行かなかったときは、適時・的確さに欠けた時だ! [日記・雑感]
今日はまさしくそのようなことが原因で、それが決まっていれば、難なく前へ進めたのだが、それが適わず、「こりゃあ!揉めるわなあ!」と言うややこしい問題を起こしてしまった。それは小生の都合で、「(昨年とは違った)口座に振り込んでくれ」と変更の依頼を掛けたのだが、(後日のため、口座番号を書いて渡して、それはそれでよかったのだが)、依頼先は、将に一年で一番の繁忙期で、もしかして変更手続きを忘れるかも知れないと心配だったので、2日程経った時点で、「変更して戴いていすよね!?」と一言確認すべきだったのだが、それも失礼かと思い、終ぞ確認を怠ったのである。
悪い予感は見事(!?)に的中し、ものの見事に変更されずに、1年前と同じ口座に振り込まれてしまったのである! いやー!困ったねえ! 事情があって、1年前の通帳、カードは家人に預けてあったので、<おまけに仕事の関係で、現在は300Kmも離れたところで、単身赴任をしているので>それを引き戻すには、すったもんだしなければならない! 本来なら、そんな事をやらずに、すんなりいった筈なのに、余計な時間と、手間が掛かる羽目に陥ってしまった。不幸中の幸いは、依頼先が、「確かに変更の旨の依頼は受けた!」と言ってくれていることで、ここで「言った!」「聞いてない!」なんてなった日にゃあ!目も当てられん!揉め事が、2倍になるだけでなく、ストレスも倍以上になる。文書で渡しておいて正解だった。
そこまでやったのなら、後日一言押しておけば、何てことはなかったのに、逡巡したのがいけなかった。まあ起きたことは仕方がないとして、明日から本来やらなくていい件をやらなくてはいけないと思うと気が重い。ましてや、こんなことをブログに書いていて、ほんま大丈夫なんかいな!とも思う。悪い時は、更なる悪いことが起きるというものだが、ここで食い止め、もめ事も最小限度に留めたい!
トホホ!の一日となってしまった!
本日、而今【にこん】という言葉を知った!心しよう! [日記・雑感]
即而今【にこん】という言葉を返していた。その意味は、過去・将来に拘らず、今を生きることに集中するという意味であるとのこと。人は、不明なことがあると、→不安が生じ結果→悩みとなる!それらが解決できないでいると、結局「過去が悪かった」だとか、因がこうだから、「将来が不安」だとかという事になる。
結局堂々巡りで、アタフタするだけで、何も先に進まないとうことに陥る。小生みたいに70も近くなれば、時間の制約も重なって一層オロオロするのみだ。そうならば、いろいろ考えを分散させるのではなく、兎に角今やらなければならないことをやる!という事に徹するしかないのではないか! 何か取っ掛かりを付けて、焦らずやるのがベターかも。
まあ!今何をやるかが、問題だと思うが、我を忘れて、バタバタして、結果何も出来ないよりは、例え大したことがないことでも、出来た1件は貴重だと思う。振り返れば、現状の小生は、まさにこの状態だと思った次第。焦らず、慌てて(!?)前進していこうと思った。
太子堂まつりと、思い出!雑感! [日記・雑感]
折角ここまで来たのだから、近辺を歩いてみようと思って、当てもなくブラブラしてみた。そうしたら、そこかしこに、「太子堂まつり」のポスターが張り巡らされていた。そんなに遠くないので行ってみることにした。勿論「聖徳太子」をお祀りしてある寺院だが、その寺院のある所は、ズバリ「太子町」である。町名になっている。
毎年3月20・21日にはお祭りがある。 春の遅い信州(北信)では、この頃には、梅も咲き、漸く春めいてくる。そういえば途中に、梅の花が咲いていた。
ポスターには、5時までと書いてあったが、境内に入ったら、2.3人の参拝者はいたが、ひっそりしていた。脇の公民館では、町内会の人たちの直会が始まっていた。それでもお堂は開いていて、参拝できるようになっていた。撮影しながらであったが、参拝した。
この太子堂には、「聖徳太子絵伝」というものが伝わっていて、以前聞いたことがあったので、もしや本日見られるかも知れないと思った。「どうぞ中に入ってお参りください」と言って戴いたので、遠慮なく本堂に入らせていただいた。序に、図々しくも、「撮影しても構いませんか?」と聞いたら、「どうぞ!」と仰っていただいたので、カメラのスイッチを切らずに、其の儘入らせていただいた。[堂内撮影禁止と言うところが多いが!]
先ずご本尊にお参りをして、(其の儘カメラを回しながら)、左右に展示してあった、「太子絵伝」を拝見させていただいた。明治12年に、在郷の絵師、牧方丘によって、太子の誕生から、葬送までの一生が描かれているものである。参拝客に絵解きなどをしているとのことである。本日は中に入れたので、「太子絵伝」を見ることが出来ラッキーだった。
この太子堂祭りのころは、春の訪れが感じられ、農作業が始まったり、≪また私の子供のころは≫庭先に大きな釜を設置し、大豆を煮て、味噌造りをしたりしたものだ。その頃は、結構各家で、味噌を作っていた。私の家でもやっていて、煮上げた大豆を潰し、「味噌っ玉」というのを作り、それを筵の上に2・3ヶ月置き、周りに黴が付いたころ、それを潰し、樽に入れ、1年くらい発酵させ味噌にしていた。まあ手前味噌という言葉があるように各家庭で個性のある味噌を作っていたようだ。
またこのお祭りには、「やしょうま(やしょうまというところもある)」という、米粉を原料にした細長い上新粉餅を供える風習があり、各家庭で作っていた。切り口に、花や、動物の模様が出るように、色の違ったものを組み合わせ、それを筒状に伸ばし、金太郎飴のようにしてカットしたものである。先日地元のTVでも特番を組んでおり、また近所からもおすそ分けしていただき懐かしく食べた!古き良き時代を思い出した!
太子堂 春の訪れを告げるお祭り 「太子絵伝」で有名!
https://youtu.be/bW0Ug6v3oTs
ご参考↓
やしょうまについての動画
【LT】春を彩る30段雛飾りと「やしょうま」(長野)
https://youtu.be/scTZBxGS3xY ←引用元
地道にコツコツやっていればいい結果がやってくる! [日記・雑感]
それで遅れてはいかんと思い、1時に家を出て、待ち合わせの外食に向かったのだが、何と、約束の時間の50分も前に着いてしまった。その為もあって、読みたい本なども持参したのだが、案の定それが結構役に立った。
今日は間に入って仕事を進めている、買手、売手の代理人を引き合わせ、細かい打ち合わせをするのが用件だった。合わせてみたら、お互いに共通の伝手を介して、前に逢ったことがあるというような事も解り、初対面みたいな感じだったが、直ぐうち溶けることが出来き、スムーズに話を運ぶことが出来た! 話の向きは、かなり高額な売買なので、成約までには、いろいろな状況に遭遇し、纏まらない確率の方が、格段に高いのだが、確実な先で、コンプライアンスに引っ掛かっておらず、金銭的な裏付けのあるところに対して、地道に継続的にやれば、日の目を見るさという事で、頑張ろうという事になった。
また全く想定していなかった商売の情報もあり、「話ができる先がある」というような展開になり、休日にも関わらずやった甲斐があったというものだ!雨の予報だったが、帰る時間になっても雨は降らず、群馬から来て頂いた方も無時帰れたことと思う!また明日から頑張ってやろう!と思った。
実は餅米からは作られていない餅米粉 [日記・雑感]
煎餅の原料となる米にも違いがあります。① うるち米とあれば、一般的なお米の事です。値は張りますが、安心し安全です。② 単に「米」と表示されている場合は、加工米を言います。「主食用以外」と用途が限定されている安価なお米です。酒や、味噌などの原料として使われています。以前、残留農薬や、カビの発生で「工業用途」となった備蓄米が、食用として流通していて、問題になったことがあります。その多くが輸入米で、「精米市場に流通しないように長期保存して品質が落ちた加工用」でした。そんな訳で加工用輸入米は美味しさの点で難があります。加工用には、国産米もありますが、これは主食用規格から外れた「くず米」のことで、「うるち米」よりも数段品質が落ちます。それをカバーする為に、化学調味料を使ったりする。この化学調味料を使うというのが問題で、品質の悪さを、本来の「おいしさ」とは全く関係ないところで補強(悪く言えば誤魔化す)するものです。一応の原材料レベルでのランクの差がありますが、先般米卸店の様に、外国産の米を混入し、「偽国産米」として販売していた例がある様に、悪用される場合が多い。われわれ消費者としては、常にイングレを見る習慣をつけ、厳しい目<変な品質のものを買わないようにする!業者は売れなければ生産を手控える!>を持つようにしたいものです。
雪の降らない地域に比較して、雪国のハンデイ [日記・雑感]
私の子供の頃は、70センチくらい積もるのはザラにあったし、その雪も直ぐには解けずに、日陰などでは、結構長く凍った雪となって残っていたように思う。そういうことを思い出す度に、やはり近頃は暖冬なんだと思う。
雪の降らないエリアの方には、想像つかないかも知れないが、雪とは大変億劫で厄介ななものなのだ。雪の降る前触れは、低く垂れこめた黒っぽい雲が立ち籠るが、その風景からして先ず気が滅入る!近頃は台風並みの風も吹く場合も多いから尚更だ!
雪の降るエリアは相当なハンデも付く。車だって、スノータイヤだ、やれチェーンだと買い揃えなくてはならないし、家の前くらいは雪掻きもしなくてはいけない。
私は既に退職している身だが、豪雪地帯の支店では、出社次第先ず雪掻きから始まった。車もすっかり雪に埋もれてしまっているから、雪の中から、車を掘り出さなくてはならない。午後1時くらいまで掛かってやっと雪掻きが終わる。外勤の稼働時間も、雪のない支店に比べれば、半分以下しか確保できない。帰社時間も遅くなる。ハンデイがあるとはいえ、当然実績不振の理由には出来なかった。
私は今まで雪の坂道で、スリップして、3回転くらいして、辛うじてガードレールに引っ掛かって停まったという経験を3・4回経験している。対向車が来ていたら、お陀仏という事態にも遭遇した。あの滑りながら、回転する、長いような恐怖な時間は今思い出してもぞっとする!
屋根の雪下ろしも命懸けだ。毎年何人か犠牲者が出ている。そんな訳で、雪の降るエリアでは、経済的にも、(大げさでは決してなく)命的にも負担となる。
それでも2.3日前、外に出てみたら、蕗の薹が結構顔を出していた。早速摘んで蕗味噌にして季節の味覚を楽しんだ。今年は楽な冬だったので、4月の後半頃に雪が降るかも知れない。信州では5月の連休を過ぎても雪が降る時もある。自然は帳尻を合わせるからなあ!
春が待ち遠しい!